2015年09月01日

思い出のバンコク・アンバサダーホテル

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  私にとってはいつでもランドマークのアンバサダーホテル

バンコクと言えば私にとって二つの思い出深いホテルがある。一つはこの写真にある、アンバサダーホテル。そして、もう一つが日本大使館にも近い、由緒あるドゥシタニホテルである。

そんな理由もあり、何故かこの写真はいつでも見られるフォルダに入っている。

私がユニツアーズの専属ツアコンになったまだ一年目のことである。それまで、訪問できなかった中国が一般旅行者を受け入れることとなり、多くの米国人がユニのパッケージで中国旅行に出掛けた。1984年の頃である。

ロスの本社が送ってくる団体を受け持っていたのが東京本社。社長のW氏も一番脂が乗っている頃である。私は中学の友人・中川真美ちゃんからリック・ブラウンを紹介され、茅場町の本社に面接にいった。W氏は私とリックが旧友と勘違いしたようだった。

すぐに採用が決まり、4月から連続で同じツアーに添乗することになった。その年も後半まで、この中国のどさ周りは続いた。

新人は他のアジア諸国へのツアーには添乗させてもらえず、稼ぎの少ない中国ツアーがほとんどだったのである。しかし、W氏は先輩ツアコンと同じランクを評価をお客からいただいていた私をアジアのツアーに振り向けてくれたのだ。

その最初のツアーでバンコクへやってきた時の宿泊先がアンバサダーだったのである。今から30年以上も前のことである。

当時のバンコクはタイの首都ではあったが、当然であるが、今のような都会ではない。むしろ、本当の情緒ただよう、「古き良きバンコク」であった。(続く)



  












posted by ラッキー at 12:37| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

懐かしい香港入り

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ツアコンの仕事で香港には毎月一度は立ち寄っていた。都合、7年くらいユニツアーズの専属ツアコンとして、中国から入る場合と東南アジアから入る香港では「嬉しさ」は対照的であった。

今から約20年以上も前の中国はまだまだ遅れていて、タイムマシーンで50年くらい逆戻りした世界だった。

その中国に二週間もいて、そこから出て香港にやってくると、当時の香港のガイドが「自由な国にお帰りなさい」などと歓迎の辞を言っていたのが懐かしい。

シャングリラホテルなど五つ星、悪くても四つ星級のホテルにチェックインするとほっと胸を撫で下ろしていたのが記憶に新しい。

毎月、毎月、中国三昧。お寺や農場などは一度行けば皆同じ。何度も行くような所ではない。旅行者にとっては一度でもこっちは飽きるほど行っているのである。そこから香港へ出てくるとワクワクした。

しかしながら、これが他の東南アジアのコースだと全然趣きは違っていた。マニラ、台湾、バンコクなどは当時から「男性天国」の異名があるくらい殿方にとっては憩いの場。そこから香港へ来ると、ちょっとゆっくり休もうという気分で、中国から入る香港とはまったく違った心境だった。

その香港も中国に返還され、空港も新しくなったが、まったく行っていないので、変わりようは想像もできない。だが、一番良い時代に行ったと思っている。今なら別に行きたいとも思わない。


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posted by ラッキー at 20:28| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月25日

サラ・リム・ナム(タイ民族舞踏レストラン)

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ユニツアーズではW社長が率先して新規オープンのホテルを利用した。バンコクのシャングリラホテルもその一つだった。

バンコク滞在は3泊4日と決まっていて、半日都内観光の他に飲み放題のライスバージ(お米の運搬船)やタイ古典舞踏を観賞しながらのディナーなどが盛り込まれていた。

チャピャヤリバーの対岸に新しくできた民族舞踏レストラン、サラ・リム・ナムでの食事はお客に評判が良かった。

アジアの中でもタイは非常に優雅でそして、ムードがあった。ホテルからボートで対岸まで移動して、船は直接、レストランに着く。雨の日は大きな傘を持ったボーイが入り口までエスコートしてくれる。

このサラ・リム・ナムでメーターディーとして働いていたのが、可愛いタックちゃんだった。日本が大好きで私が行くといつも笑顔で迎えてくれた。

プレイベートでバンコクへ旅すると必ずタックに会いに行った。何度がデートもしたが、ガイドの仕事から離れてから縁が切れてしまった。

ホテル経営時代に貸しビデオ屋で借りた一本の洋画のオープニングシーンでこのレストランが使われ、僅かではあったが、そこにタックが映っているのを見た時は驚いた。懐かしかった。

当時、私がまだ30歳前で彼女が20歳くらいだったので、今ではすでに40を超えた小母ちゃんになっているはず。できるなら、何処かで再会したいものである。


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posted by ラッキー at 00:10| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月18日

香港少女は一体誰だったのだろう?

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アメリカの旅行会社ユニツアーズの専属ツアーコンダクターとして、アジアを中心に案内していた時に知り合った香港の女の子だと思う。しかし、確かではない。記憶が抜けているのである。

ガイドは1980年代後半にドル安と共に会社が閉鎖して辞めることになったが、その後も機会を捉え、何度も行き慣れたアジアを訪ねた。タイは勿論のこと、シンガポール、台湾、フィリピン、中国や香港もそうである。

そして、行った先で必ずと言って良いほど偶然に現地の知人に出くわすことがあった。この香港の少女に出会ったのもまったくそのような状況だった。

香港の九龍半島にあるホテルに宿泊していた時である。家族旅行の小グループの引率で付いていったのだが、出発を待つ間、電話を掛けている女の子と目が合ったのだ。すると間違いなく彼女を知っていたのである。

だが、何処へ出会ったのか思い出せずにいた。頭の中のデータブックを探すのだが、どうしても思い出せない。すぐさま、彼女の所へ行き、声を掛ければ良かったのだが、彼女が電話中であり、こちらも出発間近だったため、その行動を躊躇ってしまった。

写真だけ思い出に残っているが、今でも写真を見ながら一体誰だったのか、思い出だろうとする自分がいる。


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posted by ラッキー at 15:34| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月05日

憧れの山田長政

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アユタヤにある山田長政の墓参りは今まで何度も行ったことがある。墓の前で手を合わせ拝みながら、彼の生きた時代を想像してみる。

占いによると私は自分の人生が生誕地から遠いところに縁があるというのを知り、振り返ってみると正にその通りなので驚いたことがある。

16歳で初めてアメリカの土を踏み、その一年後、シアトル郊外の高校に転校することになった。大学を卒業するまでアメリカ滞在が9年半。永住の夢が絶たれ、日本に帰国するも僅か半年でアメリカ人相手のツアーコンダクターになり、ガイド業を7年。

プラザ合意による急激な円高ドル安に見舞われアメリカ資本の会社が閉鎖。その後、日本語教師となりサイパンに赴任。一年後、オーストラリアに移住を考え、準備のため日本に帰国するもバブルによる土地問題が起こり父母を助けることになった。

その流れで日本でブティックホテルを経営するもバブルが弾け、「失われた15年」をホテル経営を営むも不況で閉店。

その後、ロングステイをビジネス化するためにアジア・パシフィックを視察しながら、自らタイへ移住することになった。

自分の半生であるが、月占いはまったく性格であった分けである。ガイド時代に夢を馳せた山田長政の生き方に共鳴した自分の姿が今ここになる。
posted by ラッキー at 11:48| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月03日

パレスホテルの思い出!ベルデスクの荷物置き場で酒盛り

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ユニツアーズの専属ツアーコンダクターとして、すでにベテランの仲間入りをした3年目の頃であった。二年目から常宿としていた皇居前のパレスホテルはスタッフとも親しくなり、特にベルさんたちには十分世話になった。

あるテレビ番組で旧国鉄職員の本当とも嘘ともつかない話題を見た。それは、構内放送によくある「業務連絡〜、業務連絡〜」というやつである。その後に続く訳のわからない(関係者しか分からない)番号やコードは実は「今晩、○○で○時に酒盛り開始」とかやっているのではないか?という話しであった。

これは面白いと思い、果たしていろんな職場でそんなことが実際にあるのか、パレスホテルのメイドセクションで試しに鎌をかけて聞いてみたのである。

すると、「ガイドさん、どうしてそんなこと知ってるんですか?」という返事が返ってきたのである。それで、あることが分かってしまったのだ。

仲の良かったベルデスクのO沢さんや鵜○さんなどに、今晩は何時からやるのよ、と聞くと○田さんも一緒に一杯如何ですか、と誘ってくれたのだ。

○沢さんは律儀な人で、まさか客の私を荷物置き場は案内するのはできないと考えたようで、フロントの前にあるソファまでわざわざ水割りを作ってもってきてくれた。

私は正面入り口のど真ん中で、居心地が悪かったので、あえて皆と一緒の荷物置き場で飲ませてもらった。

高校からのアメリカ留学時代の話など、ベルさんたちの普段聞けないような話をしてあげたが、皆喜んで聞いてくれた。

この酒盛りも一度や二度では終わらず、定例となってしまった。私が成田からの客を部屋へ案内し、その日の業務が終わると夜遅くベルさんの所へお邪魔する機会が増えた。

慣れたもので○沢さんは私が荷物置き場は入るや否や、「○田さん、明日は日光ですね。モーニングコールは何時にしましょう?」と言って、いつもその場でオペレーターに指示してくれた。翌朝、ガイドで引率する日光のツアーは二日酔いが多かった。

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posted by ラッキー at 00:06| バンコク ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

東京観光に四人の客をホテルに残して出発

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    成田からホテルの送迎も担当したのに・・・


まだツアコン一年目、駆け出しの頃の出来事である。大失敗した中でも特に思い出深いものである。それは何とツアー初日の東京観光にニューヨークから来た四人の客をホテルに残したまま出発してしまった事件である。

しかも、その四人は前日の成田空港到着で私が出迎えに出てホテルまで送迎した客だったから、客は激怒した。

そのツアーは全員アメリカからの客で地域によって出発便が異なっていた。約30名のグループだったが、サンフラン、ロスとニューヨークからの三便に分かれて成田へ到着した。

そして、そのニューヨークから来た四人を私が出迎えたのだ。残りのグループとはツアー初日に東京観光案内のバスの中で初めて対面した。

不慣れで焦っていたため、ホテルを出る出発の際、一番基本である人数確認を飛ばして出発してしまったのだ。

うちの会社の定宿は大手町のパレスホテルであり、午前の東京観光の最初のストップである皇居まではバスで一、二分の所にある。

不運だったのは、この皇居で写真撮影に立ち寄った時にうちの会社の他のツアー客も一緒だったことだ。

皇居の撮影ストップが済み、客がバスに戻ったところで人数確認をすると四人足りない。???オカシイなと思いつつも、もう一台のバスに間違って乗ってしまったのだろうと勝手に解釈した。今なら携帯電話で連絡も取れるだろうが、当時はまだそんな便利な物は無かった。

浅草でもう一台のバスで周っている先輩メラさんと休憩場所で一緒になった。すると、彼女の方には四人の私のグループメンバーは乗っていないということだった。彼女はすぐに会社へ連絡を入れるようにアドバイスしてくれた。

電話に出たナンバー2の石井女史が言った。「どうしたの?お客から怒って電話が入ったわよ。確認ミス?いいわ。あなたのせいじゃないわ。皆が出発するのに一緒に行動していなかったのが悪いのよ。明日のはとバスのツアーに乗せるよう手配したわ。あなたは椿山荘のランチから案内しなさい。そっちに送るわ。」

午前中の不慣れな東京ツアーを終えた私はツアーに組み込まれたランチを案内するため椿山荘に到着した。

椿山荘ではバスの到着を待っていた四人のアメリカ人が玄関で待っていた。バスが玄関に入って来ると見慣れた顔のアメリカ人が立っていた。それもそのはずだ。前日に成田からパレスホテルまで四人を案内したのは自分だったのだから。

玄関でグループと合流した四人は、ランチの出る開山堂まで私の横にピタッと付き罵声を浴びせ続けた。玄関から開山堂まで歩いて5分以上もある。私は残りのグループに配慮しながら、兎に角ランチに通した。

怒りの四人もテーブルに着くと、やっと静かになった。この時、会社の石井女史にも感謝したが、残りのグループメンバーが「気にするな。一緒に行動しない方が悪いのだから。」と私を庇ってくれた。大感謝だった。

しかし、この後二週間中国を一緒に旅することになる。時間があったので名誉回復することができた。最後は笑顔で帰路についてくれた。大失敗の思い出は忘れない。

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2010年01月25日

ピンクの蛍光灯を見るたびに思い出すある出来事

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20数年前の話であるが、リゾートパタヤのビールビアバーのピンクの蛍光灯と見るたびに思い出すことがある。

ツアコンの仕事がオフになる冬の間、親友のM君とバンコク・パタヤの旅に出掛けたのだ。パタヤでは当時グランドパレスと呼ばれた現在のホテルドゥシットホテルに宿泊した。

その頃のリゾートビーチロードは今のような片道通行ではなく、両側通行でき、南から北へ向うビーチロードの光景も素敵だった。

さて、ピンクのネオンで何を思い出すのかというとビールビアバーにいたあるブティックホステスのことである。

M君と入ったオープンバーで可愛い子を目見つけたのである。ところが彼女にはドコモ提供先客が付いていて、残念ながら遠くから眺めるだけであった。近くにいたホステスに彼女を私の方へよこしてくれと頼んだが、それは無理だと断られてしまった。

人間、断られると無性に意地になるものである。ビールビールを飲みながら、事の成り行きを見守った。すると、客のファランがいつの間にか席を立ってしまった。

「チャンス!」だと思い、すぐさまそのブティック彼女を自分の方へ呼んだ。待っている間、どれだけビールビールを飲んだのか覚えていないが、ピンクのネオンに照らされたブティック彼女の顔を見るとどことなくあどけさが残った揺れるハート可愛い子だった。

年を聞くと「シップ・ペッド」(18歳)と答えた。当時、すでに簡単なタイ語を話せた私はすぐに仲良くなった。私は彼女を連れたって店を出た。

ホテルホテルの部屋に入るなり、気になったので、何気なしにもう一度聞いてみた。「アー・ユー・タオライ?」

すると、今度はもじもじしながら「イー・シップ」と答えるではないか。つまり、二十歳である。

それから、その晩、一戦が終わってから、もう一度確認の意味で再度年を聞いてみると、「イーシップ・ハー」(25歳)となり、翌朝にはサム・シップとなっていた。

最終的に彼女の年はがく〜(落胆した顔)32歳になっていた。ビールビールの酔いとバーピンクのネオンには十分注意が必要だと習った最初の教訓である。

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2010年01月17日

恐怖のトゥクトゥク体験

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先日、バンコクへ行った折、久しぶりにトゥクトゥクに乗った。かつて、ガイド時代に私用で出掛けた後、ラッシュアワーに捕まりトゥクトゥクでホテルに戻ったことを思い出していた。

元々、運河を埋め立てて道路にしたため、バンコクの道路事情の悪さは有名であるが、洪水とかでなければこのトゥクトゥクは便利で早い。そして、スリル満点ということも加えなければならない。

一度だけ危険な目にあったことがある。勿論、私は一人でそれは夜に起こった。行き先は必ず有名なホテルと決めていた。どこへ行くにも目的地近くの有名ホテルを告げ、そこから歩くのである。これはガイド時代から習った安全な方法なのである。

片言のタイ語で行き先を告げ、トゥクトゥクに乗り込むとスクムヴィットを走っていた車は突如ソイを曲がるのだ。またホテルは先だとすぐに気付いたのが良かった。

30mくらいソイを入った先にはモーターバイクの兄ちゃんたちがたむろしていた。それを見た瞬間にトゥクトゥクを飛び降りていた。幸い、まだコーナーを曲がったばかりでスピードは遅く、メインロードのスクムヴィットから離れていなかった。

振り向きもせず、走ってスクムヴィットに出ると次に来たタクシーに乗ってホテルまで無地戻った。

思い出しても気持ちが悪い恐怖のトゥクトゥク体験だった。


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2010年01月08日

中国で一番好きな場所

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    中国で一番好きな天壇公園

ツアコン時代の80年代に60回ほど訪れた中国。当時は現在と違いタイムマシンでタイムスリップしたような古いままの中国であった。

私の印象では50年は時代を逆行する感覚であった。夕方になると至るところで炭の匂いがしていた。着ている服は人民服が圧倒的に多く、走っている車はまだ少なく自転車の多さに驚かされた。何十キロもあるホテルまで中にはバスを利用せず自転車で来るガイドもいた。

その中国で一番好きな都市は杭州だった。西湖で有名なところであるが、人柄も他所の土地に比べ非常に穏やかで気に入った。上海と近いわりには全然似ていないところも好きだった。

一箇所場所を選べと言われたら文句なしに北京の天壇公園を選ぶ。広々とした広大な中国であるが、正しく中国の象徴と言える建物だと思う。そして、皇帝が五穀豊穣を祈ったという円形の美しさには惚れ惚れさせられた。

ごみごみした人がいなく、本当に静かさを味わえる場所もここならであった。強烈な発展を遂げている中国であるが、この場所は絶対に昔からの姿をとどめているはずである。

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posted by ラッキー at 18:27| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

今でも必要な「跨ぎ禁止」サイン

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さすが国際観光都市パタヤというべきか、デパートのビッグCのトイレには次のような洋式トイレの禁止サインが便器の裏蓋に貼ってある。

今時、洋式トイレに腰掛けず、便器の上に跨って用を足す者がいるとは思えないのだが、用心のためだろうか。

このサインを見て昔のことを思い出してしまった。かつて、ユニツアーズで専属ガイドをしていた頃の話である。今から30年近く前のことである。

バンコクと言えば殿方のガイドが大喜びする訪問地の一つで一番人気があった。何故かと言えば宝石屋のコミッションが一番高く儲かる上に指定の宝石屋から十分な接待を受けることができたからである。

会社はこの買物については責任を持たず、完全にガイドと店の付き合いでコミッションは支払われていた。

そのような訳で三軒あった宝石屋の営業担当は皆ツアーコンダクターを丁重にもてなした訳である。食事はもちろんのこと、夜のお相手も宝石屋が負担した。

アメリカ人の上客が宿泊している5つ星のホテルに不慣れな若いタイ人の女の子を連れ帰るとロビーから異様なカップルに映っただろうが、そこはタイである。何事も無いように振舞ってくれるどころか、冷やかす者も中にはいた。

ある時、連れ帰った女の子が用を足しているとも知らず、静かだったので間違ってトイレのドアを開けてしまった。すると、その女の子はトイレに跨って用を足していたのだ。

お互いに顔を見合わせ驚いたのを覚えているが、ビッグCのトイレのサインを見て、ついそれを思い出してしまった。

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posted by ラッキー at 19:21| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月06日

取り残された添乗員 − 屈辱の見送り

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駆け出しの添乗員になったばかりの私のアサイメントはチャイナ・ハイライトという二週間の中国ツアーだった。

行程は北京から上海、杭州、桂林、広東、そして香港である。1980年代当初、お客は団体ビザを持っていて、添乗員のツアコンは客とは別に個人のビザで入国していた。

ツアー前にユニツアーズでは必ずベテランのツアコンが新人にブリーフィングを行ってくれた。

当時は中国政府の規制が厳しく、政府の筋金入りの現地ガイドがブループに付いた。そこでよく問題になったのが、誰がグループのリーダーかということである。

社会主義でない資本主義の米国客はお金を払いツアーに参加し、旅行会社はその代金に対し、約束したツアーを遂行する義務がある。約束を反故にされれば訴訟ということもあるのが米国流である。

従って、我々ツアーコンダクターはすべての工程が約束通り、またグループ全員の満足するようなツアーになるようサポートしなければならない。その「まとめ役」として代表になるのがツアーリーダーだった。

だが、中国政府から派遣されやってくるガイドはさも自分がリーダーのような態度でサービス業も旅行業も理解せず(できず)にツアコンと張り合うこともあった。そんな関係も先輩たちから聞かされていた。

同じチャイナ・ハイライトを三本続けてもらった私は二度目のツアーに出た。無事、北京をこなし、向った上海で事件は起こった。

私に付いた上海の女性ガイド、ツアイ(蔡)がパスポートを彼女に預けろと言うのだ。何故だと聞くと上海から杭州に行くためにパスポートに政府の許可がいると言うである。僅か二週間前に一度、同じコースで汽車に乗った時にはそんな要求は無かった。

それを言うとツアイ(蔡)は、行政のお達しが出て変更になったと言う。私は会社から何もそのような指示が出ていなかったので、それを拒否した。ツアイ(蔡)は何度も執拗に私のパスポートを要求したので、更に疑ってしまった。

そして、入国査証はきちんとパスポートに押印されている。何も問題無いはずだ。私は勝手にそう思い、翌日、予定の汽車に乗るためグループと一緒に上海駅に着いた。

汽車の切符や団体ビザなどは蔡が預かっている。私は自分のパスポートも蔡に渡し、汽車に乗ろうとした。

ところが改札で係員に止められてしまった。団体は問題無かったが、私のパスポートに中国国内の移動許可が無いのが理由らしかった。蔡が言っていたのはこのことだった。私は査証が押印してあることを盾に問題無いと主張した。

蔡が気を利かせて団体と一緒に汽車へ乗り込めと合図した。私はアメリカ人10数人と一緒に切符に書かれた車両に乗り込んだ。蔡はナショナル・ガイドでないために、上海でお別れだ。

心配そうな顔をしている私の客に問題無いから安心するように話していると、窓の外に警官の姿が見えた。ちょっと嫌な気がしたが、席に着いた。

すると、窓の外に見えて警官が車両に乗り込んできた。どうやら、私を探しているようだった。警官が私の前に現れ、汽車から降りるように命令した。私は従うほか仕方が無かった。

汽車を降りたら待っていたのは蔡だった。にやにやしながら、苦笑ともとれる顔つきで私に言った。「だから、言ったでしょう。国内旅行の許可をもらわなければ乗れないって。」

で、どうするのか蔡に聞くと、これから役所に行って許可の押印を受けると言う。午後からの汽車に乗せるから杭州でグループと合流するように手配すると言った。

私が振り向くとグループを乗せた汽車が出ていくところだった。添乗員の私は取り残されたのだ。

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2009年07月05日

アリタリアのオーバーブッキングでファーストクラスへ

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    オーバーブッキングでファーストへアップグレード

ユニツアーズでのツアコンの仕事はツアーのシーズンがあり、プロ野球の選手のようなスケジュールであった。自主トレに入る2月かオープン戦の始まる3月頃に一発目の仕事が入ると10月の日本シリーズの頃まで仕事は続く。

そしてシーズン最後の客をアメリカに送り返し会社でディブリーフィングを済ませると翌シーズンまでシーズンオフとなり仕事は無い。このシーズンオフを利用して私は自腹を切ってスタディーツアーに行くようにした。

それを聞きつけた友達が一緒に行きたいと騒ぎ出した。地元の先輩の大学時代の友達の悪友たちである。偶然にツアー中にマニラ−シンガポール間の機内で再会した先輩と同行していた板橋グループの面々である。

その時、シンガポールの穴場を全部教えてあげたのが縁で「遊びタイ」グループが結成され皆タイに入れ込んだのだ。一人はその二年後にタイ旅行中に看病してもらった看護婦と結婚し、リーダーの板橋氏はその後、タイに移住してしまった。残ったのは鈴木氏と実家が設備屋をしていた石井氏のみである。

この板橋グループを率いバンコク&パタヤツアーを組んだ時のころである。現地タイを飛び立とうとドンムアン空港に到着した時のことだ。深夜発の便が多い空港は客で混雑していた。

皆荷物を集め一箇所へ固まっているとガイドが私の所へやってきて耳槌した。「どうやら、今晩の便はオーバーブッキングが出ているようです。」私はそれを聞くと「何席くらいだ?」と聞き返した。ガイドはまだ分からないと返事をしたが、満員ならアップグレードさせるように指示した。そして、私を含めた四人分をファーストクラスにするように言った。

チェックインの手続きから戻ったローカルガイドの手には二色の搭乗券があった。寄せ集めの日本人グループの人数は20数人であったが、その内7人分のファーストクラスがあった。

ガイドは私に四人分のファーストクラスの搭乗券を渡すと順次残りの搭乗券を配り始めた。五日間のツアーの間に私はガイドと仲良くなっていたのだ。当時、すでにタイ語を話せた上、仕事がツアーコンダクターをいうことで彼は私を慕っていた。

登場時間になりそれまで一緒にいた日本人の客たちは違う色の搭乗券を持った私たちを見て騒ぎ始めた。「どうしてあの人たちは違う色の搭乗券を持っているの?」とか「乗り口が違うじゃない!」などのコメントが聞こえてきたが、そんなことはどうでも良かった。すでにファーストクラスの搭乗券を手にしていた私たちは満悦の笑顔で機内の人となった。

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2009年06月13日

絶対絶命!あわや運び屋になる?

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    職務質問を受けたドンムアン空港ロビー

正確には覚えていないが、確かツアコン三年目の頃だったと思う。バンコクのドンムアン空港での話しである。

私は一人だったのでツアー客のエスコート時でないことは間違いない。確か一人でバンコク・チェンマイを旅した時だったと思う。

二週間の休暇を満喫しさあこれから帰ろうと空港に着いた。チェックインを終えた私は仕事がらロビーをうろついていた。時間がある時はいつも色々調べることを怠らなかったからである。

適当な時間に入管へ進もうとロビーからゲートへ向おうとしている時、突然後ろから呼び止められた。名前を呼ばれた訳では無いが声の聞こえた方を振り向くとポリスが私の方へやってきた。

タイ語で何か話をされ、分からずにいると「一緒に来い」と命令され近くの事務所へ連れて行かれた。中にはニ、三人のポリスがいて英語を話すお巡りもいた。どこへ行くのか聞かれ正直に答えると他人から預かった荷物は無いかとか色々尋問された。私は何が起こっているのか分からず不愉快な思いをしながらも丁寧に答えた。

簡単に手荷物も調べられたが、とりあえず事務所から出してくれた。私の額からは汗がびっしょり流れ出ていた。タイの空港の暑さのせいではなかった。

香港で買ったボストンバッグは私の仕事に愛用しているものだったが、サイドポケットやジッパー付きのポケットなどたくさん入るので重宝していたのだが、向きが変わったバッグを担いで歩いているとオープンなポケットに中に不審な物を見つけた。

ジッパー無しのオープンポケットはティッシュペーパーなどの簡易品を入れる程度で重要な物は勿論入れない。つまり、あまり利用しないポケットなのだ。だが、間違い無くオープンポケットに何か入っている。自分で入れた物なら何が入っているか想像がつく。だが、私には見当も着かず、入れた記憶も無かった。

慌ててさっとポケットの中に手を入れた。取り出すとそれを見て仰天してしまった。それは不審なビニール袋だったのである。たった今、ポリスの尋問から解放されたばかりである。私はビニール袋の中身を確かめる勇気は無かった。近くのさきほどのポリスがいなくなっていたのが幸いだった。

ゴミ箱を見つけるとボストンのサイドポケットから急いで中のビニール袋を捨て、足早にその場を立ち去った。真っ直ぐ入管へ行き搭乗口に向ったのは言う間でもない。あわや「拘束」「逮捕」にまでなっていたかも知れない危機一髪だった。

(因みにタイでビニール袋に入った大麻などバスの中で見かけたりした経験は数度ある。)

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posted by ラッキー at 16:00| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

「そうだ、ソウルへ行こう」 続編

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    二人の美女と南山タワーでOBビール

初日は新聞社のI氏のみ、美女同伴となってしまったフィーリング・カップルだったが、翌日はまたまたとんでもないハプニングが起こった。

ガイドで会社が使うソウルのロッテホテル付近を散策している時に起こった。ある韓国人の親爺が私たちに近づき親しげに話しかけてきたのだ。てっきり私を知っている人だと勘違いした私はその親爺と言葉を交わした。

するとその親爺は親切にもデパートガールを紹介すると言うのだ。まだ昼下がりである。しかし、別に急ぎの用事がある訳じゃ無し、冷やかしに会ってみるかという話になった。

親爺は私たちを連れ近くにある喫茶店に連れて行った。コーヒーを注文すると少し待つように言い残し親爺は姿を消した。

待つこと10分程度だったか、戻ってきた親爺の横には二人の韓国人女性がいた。建前上はデパートガールということだったがそんな区別はできる訳もない。私とN氏は互いの顔を見て頷いた。二人とも興味が無かったからである。

コーヒー代を払って出ようとすると親爺は食い下がり、別な特別な子を紹介すると言うのだ。噴出してしまった。冷やかし次いでに再度会ってみることにした。

しかし、今度は親爺も戦法を変えたようで喫茶店には行かなかった。連れていかれたのは五つ星のウェスティン・チョースン・ホテル内のコーヒーショップだった。

明らかに近所の安い喫茶店とは違う。高級娼婦と逢引でもするかのような緊張感が走るがこの韓国人の親爺のコメディアン風の振る舞いがその全てを帳消しにする。

やはり待つこと15分、今度は先ほどとは違った膝下までのスカートを履いた清楚な感じの美女が二人現れた。前日の晩、一回戦を戦っていたI氏はこの日はパスすることになり、N氏と私は相談の上、それぞれパートナーを選んだ。元よりN氏と私は互いの好みがバッテンすることは滅多にない。

笑顔の親爺を残し5人はウェスティン・チョースンを後にした。タクシーで宿泊先のホテルへ向う。彼女二人は相談して韓定食の店を紹介すると言う。多分、どちらかの知人の店であろう。せっかくのジェスチャーに感謝し、5人で韓定食を食べに出かけることになった。

行った場所は結構構えの良い料亭であった。注文はすべて彼女たちにお任せにした。韓国の清酒を頼み、出てくる料理に舌鼓を打った。ところが、料理を食べ終わらないのにどんどん料理を下げてしまう。そして、その後からどんどん追加の料理を持ってくるのである。

料理が10品くらい運ばれてきたころだろうか、I氏がもじもじしだした。後で判ったことだがI氏は前日の晩、美女との付き合いで大幅な支出超過に陥っていたらしい。次から次へと運ばれる料理を見て財布に自信が持てなくなったのである。

それはごもっともだった。何しろ後で数えると三十近くの料理が出てきたのだから。途中で気づいたN氏と私はI氏に向って言った。「心配には及ばないよ。持ち合わせが足りないなら、皿洗いでもすればいいって」もちろん冗談であったが、彼が度肝を抜かすような品数の料理は後にも先にも無い。

二人の女性の分も入れ、勘定を三人で割ると一人1万2、3千円だったのだからこの料亭での食事は安いものであった。20台後半でできる業ではなかった。

その後5人でイーテーウォンのディスコへ行く。この辺はスタンダードに「カモ」になり一人1万というボラれ方をしたが酒に寄っているので文句は無い。

そこからI氏は一人寂しくホテルへ戻った。タクシーでホテルへ向おうとすると私の彼女が「あんな安宿私は行きたくない」と言い自分のマンションへ行くように運転手に指示した。??何だって?マンション?

N氏と彼女も一緒にタクシーに乗った。着いた先は江南区の高層マンションだった。不動産を営むN氏は興味を持ち参考に立ち寄らせてもらった。

タクシーを降りる際、料金を支払おうとポケットからお金を出した拍子にコンドームがポトリと落ちた。これには私も参ってしまった。皆の失笑を買う。

部屋に案内した私の彼女はチョー・ヨンピルのカセットを掛ける。ベランダからは暗闇に韓江が見える。とてもロマンチックだ。

N氏と彼女は翌日待ち合う場所を決めマンションから出ていった。

彼女はお祖母さんの相続金でそのマンションを買ったとのことだった。それ以外には韓国語ができなかったので詳しい話はしたのかも覚えていない。彼女の方も日本語が達者であった訳ではない。

本当にデパート勤めの女の子だったのかは分からないがそんなことはどうでも良かった。旅行では味わえない韓江の見えるマンションに一泊お世話になり翌朝見えた紅葉の美しさは今でも目に焼きついている。

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posted by ラッキー at 00:10| バンコク ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月12日

楽屋で着替える女優たち

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    よく見に行った中国雑技団の演技

ツアコンガイドをしていて役得とも言える状況に度々遭遇できた。中でも現地語が達者だと普通の客が入れないところへ入ることができたことだ。普通の人が入れない所とは楽屋である。

現在のツアーがどうなっているのかは知らないが当時の中国では名勝地の観光スポットの他には学校やコミューン(農村)などの他に観劇などもあった。

ほとんど毎月のように中国ツアーで訪問していた関係で劇場などでは俳優と接する機会もあった。ある時、西安では突然ステージの袖から役者が出てきて私を楽屋に連れ込んだ俳優もいたほどだ。必ず「君はまた来たのかい?」とまるで親友が再会の喜びを表すかのように嬉しそうに話す役者もいたほどだ。

楽屋に入ると客席では見られない物を見ることができた。ステージから遠い客席では判らないがコスチュームなどかなり貧困だったのを覚えている。ステージライトに照らされて踊っている女優からは想像もできないほど厚化粧をしていた。

そんなこんなの楽屋であったが、やはり一番目を楽しませてくれたのは女優の着替えだった。どんなに上手に着替えてもブラジャーなど下着がちらりと見えたりするのはスリルがあった。不謹慎ではあるが、そこは男、どんな局面でも女性の着替えに胸を躍らせない者はいない。

まあ、女優たちも着替えは慣れているので、そう簡単には見えはしないが色っぽいことは確かであった。

各都市、訪問先で予定の中に観劇が入っていたりするとそれだけで楽しみが増えたものである。

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posted by ラッキー at 10:31| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月13日

中華丼に落ちたエメラルドのブレスレット

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    大半が中南米の小国アルバからの客

日本やタイなどアジアを回り最後に中国に入るツアー、5名ほどのアメリカ人以外は32,3名全員が南米の小国アルバからの客を案内したことがある。

これは最初から難しいと思った。すでにツアーコンダクターとして中堅の域に達してはいたが、ほとんど全員がスパニッシュ語圏からの客であり、しかもその中に数人の英語圏のアメリカ人客がいるのである。

だが、私の心配をよそにアルバの連中は陽気にツアーをエンジョイしてくれていた。オラシオ夫妻がアルバの旅行会社を経営していて、全員お客はオラシオ夫妻の手配だった。当然、オラシオ夫妻は日本でいう旅行代理店の立場にいたわけだ。

兎に角、この中南米の小国はタックスヘイブンと呼ばれる小国の一つで他に何と産業もないが世界から集まる「お金」で食っていける金融国なのである。アルバでは税金は無い。

皆、何をしていたのか記憶にないが全員それなりの金持ちだったことは覚えている。

そして、このグループを案内したバンコクでは案内したサムの宝石店でたくさんの買物をしてくれた。私はいつもサムの店を選んだのには理由があった。彼はもしお客からクレームがあった場合、何も言わずに全額返還というモラルを持っていたからである。他に二軒ほど会社と提携した宝石店があったがどちらも中華系のタイ人がマネジャーで、客とのトラブルに発展しそうな考えを持っていたので、止めていた。

「商品、料金とも100%保障」と謳い連れていったサムの店でアルバの連中はエメラルド、ルビー、サファイアといったタイで有名な宝石を土産に買った。オラシオ夫人もその一人だった。

随分売り上げもあったようで、その日の夜、サムが持ってきたコミッションを見ると私の取り分もいい金額になっていた。

バンコクから香港経由で広東に入った。夕食の円卓で食事をしている時だった。大きな中華丼にスープが入って出てきた。旅行代理店の奥さんオラシオ夫人がバンコクで買ったばかりのエメラルドのブレスレットを着けてやってきた。他の客もそれぞれ購入した宝石で着飾っていた。

そのオラシオ夫人がスープを取ろうと手を伸ばした時だった。私は見てはいけないものを見てしまった。何ときれいに輝くエメラルドのブレスが外れスープの入った丼の中に落ちてしまったのだ。

これには正直参ってしまった。本当は可笑しくて仕方がないのだが、笑うに笑えず、オラシオ夫人を慰め、マネーバックの保障を改めて伝え、心配しないように説得するのが精一杯だった。料金の返金だけでは事は済まない。気分の問題もある。

なんとか冷静さを保ち処理したが、他の客の動揺が気になる始末だった。他の客が全員返品などとなったらとんでもないからである。

翌月のツアーでこのブレスをサムに返却しオラシオ夫妻に速やかに返金してもらい、会社には報告されずに事態は収拾したのが幸いだった。

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posted by ラッキー at 17:11| バンコク | Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月11日

圧巻!揚子江下り − 続き

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    大足シンガーズ

この学校の先生を中心とした14名の勇敢?なユニツアーズのおっ客さんたち、愉快で最高なツアーとなりました。今でも三本の指に入るベストツアーでした。

ミニバンに乗りガタ凹道を走る途中、トイレストップで立ち寄った所は実はトイレではありませんでした。男連中と中へ入ると小便器が無いのです。なんとあったのは壁際の床に5cmほどの排水のための溝でした。

皆で顔を合わせ、キョトンとしてしまいました。当然、ですがメンバーはツアリーダーの私の判断を待っています。深く頷いた私は意を決してその溝の中へシャーシャーとやりました。長いことバスの乗っていたため、メンバーも溜まっていたものを思いっきりシャーシャー。そして、連れションをしながらゲラゲラ大笑いとなりました。

人間、いろんな局面に出くわした時、その反応はいろいろですが、私は「笑い」を身上としていますから、全て笑い流すことにしていました。このグループは本当にユーモアが分かるナイスなグループでした。

4泊5日の船旅は重慶から武漢で終わるのですが、二日目の晩にはキャプテンの招待ディナーが開かれツアーリーダーの私は幸運にもキャプテンのテーブルへ招かれました。私のグループは皆気持ちよく送り出してくれました。こういうところ、アメリカ人は素晴らしい伝統を持っています。

兎に角、田舎のどさ回りのようなこのツアー、格好など気にしていられません。まるで、野営キャンプに来たようなツアーでした。そしてそのように案内した私は正解でした。アメリカ人は子供の頃からキャンプとかに勤しんでいるのを知っていたからです。

現地の農民が被る帽子を被り、タオルを頬かぶりして、ズボンの裾をたくし上げれば、どこから見ても農民と同じです。互いの姿を見合っては大笑いでした。

船から下り、岸から農村を歩いたり、小船に乗り換え三峡巡りをしたり、それはもうエキサイティングなツアーでした。そして、下る揚子江の広さ、景色の雄大さはアメリカのグランド・キャニオンにも匹敵する素晴らしいものでした。

いつも思うことですが、ツアーの思い出は「お金」以上の価値があります。その素晴らしさは永遠に忘れないからです。今でも懐かしいツアーの一本でした。

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posted by ラッキー at 01:18| バンコク | Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

思い出の揚子江下り

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    客船の中で行われる演芸会

バンコクへ出発する日の朝、私はまだ京都の都ホテルにいた。朝食が終わりお客のチェックアウトの確認に忙しかったその時、社長から電話が入った。「ラッキーさん、次のアサイメント、中国の揚子江下りに変更になりましたので宜しく。」

私は「分かりました。」と返事するだけだった。しかし、「揚子江下り」については他のベテランツアコンから誰も行きたくないツアーだと聞いていたのでショックだった。

アジアのツアーから戻り揚子江のツアーメンバーを見てもっとショックだった。8月の夏休みの期間だったせいもあり、お客の大半が学校の先生だったのだ。「これは大変なツアーを引き受けてしまった。」私はそう思った。

何故ならツアーの最後にお客から「満足度調査」の質問表を回答してもらうのだが、学校の先生の回答では厳しい点数を付けられかねないと思ったからだ。

出発前にベテランの先輩メラさんが三峡下りのブリーフィングをしてくださった。西安から重慶に入ると揚子江下りに出る前に前泊で大足(と書いてダズーと読む)という所に行く場合があると聞いた。ほとんどのグループは前泊と言っても船の中で寝るだけである。

中国国内の予定はすべて国の方で決められてしまう。それについてはユニツアーズでは何もできない。西安から重慶の飛行機は朝の便だった。

重慶に到着すると現地のローカルガイドが待っていた。まだ11時と早いのに空港の食堂で昼食となった。私がティッシュで出された「お箸」を拭くのを見てグループ全員が黙って従った。さすがに先生のグループである、よく観察している。

私はランチもそこそこにテーブルを離れガイドの席に行った。今後の予定を聞いておくためだ。するとガイドが言った。「これからまっすぐ大足に行きます。」??何、大足だと。で、どのくらい係る?とガイドに聞くと4,5時間だと言う。

「ふざけるな!どうしてそんな遠くに行ってまで泊まらなければならない?」私はガイドに抗議した。グループ全員が関心を持ってこっちを見ていた。私が抗議しているのを見て不安だったようだ。

席に戻ると抗議の内容と経緯をグループに説明した。我々は覚悟を決めミニバスに乗り込んだ。

重慶を出たバスは田舎道をどんどん走る。何も無いただの田舎の風景とガタ凹道に揺れるミニバスの乗り心地の悪さに私は眠ってしまった。すると、車のガタ凹に合わせるかのように夢の中でメラさんの話していた「大足、大足」というのが聞こえてきた。

そうか、これが特別なツアーだという噂の大足なのか。すでに車は2時間以上も走っていた。そして、頭の中にある地図で自分が今どこにいるのか描いてみた。わーお、おいおいこんな所で自分が病気になったりグループから病人を出したりしたら、中国を脱出するのは簡単ではないぞ。下手をすればここが墓場か。そんなことを考えながらまた眠りについた。

夕方、うっすら暗くなる頃やっと大足に着いた。宿はとんでもない古い旅館だった。部屋に入ったお客の一人がすぐさま飛び出してきて「トイレが流れない」と文句を言った。予期していた通りだ。我慢してもらうほか方法がない。

村の道路は舗装されている場所は無かった。重苦しい湿気と前日にでも降ったのだろうか、道はどこもぬかっていた。女性メンバーは全員ズボンの裾をたくし上げていた。

翌日は重慶に戻る前に大足の有名な石窟に彫られた仏像を見に行く。これは素晴らしいツアーだった。5グループに一組だけ与えられる特権の大足ツアーに私のお客は大満足した。

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2009年02月05日

日本の城巡り

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    那覇の首里城

ユニーツアーズの専属ツアーコンダクターとなったが日本のガイドの仕事までには至らなかった。中国を中心としたアジア専門であった。だが、「備えあれば憂いなし」である。自腹を切ってスタディー・ツアーに出掛けた。

スタートは愉快にも川崎の友達の所からだった。正確に言うと溝口である。友人の案内で川崎にお風呂屋さん巡りからスタートしたのだった。板橋というリーダー格の友達が事前調査で指名の女の子まで調べておいてくれた。そのお陰で超可愛い子に当たった。

翌日、普通列車に乗り東海道本線で名古屋まで行く予定だった。二日酔いで乗り込んだ汽車は気が付くと何と富士山がよく見える御殿場にいるではないか。そこで乗り換え沼津まで下る。

それから遠路、名古屋に辿りつく。宿泊は予算の関係ですべてビジネスホテルに泊まったがその狭さにはうんざりした。普段、五つ星クラスのホテルに宿泊していたため、その落差に愕然とさせられた。

名古屋城を皮切りに岐阜城、二条城、姫路城、岡山城、広島城と大好きな城巡りになってしまった。それはそれで問題はない。どっちみち、その地へ行けば城巡りは旅程に入るからである。

ブティックホテルを辞めたあとも最大の夢だった織田信長の安土城と沖縄の首里城にも出掛けた。まだまだ一度は言ってみたいお城がたくさん残っている日本であるが、江戸城を復活させたらと想像するとぞくぞくする。

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posted by ラッキー at 00:18| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコンガイド時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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