2015年03月03日

「歴史に学ぶ」から転載

http://sin-jidai.ldblog.jp/archives/42773351.html
ブログからの転載です。非常に鋭い指摘です。一読ください。

2015年03月01日
歴史に学ぶ 〜江戸の武士と現代の官僚の暗い共通点〜
好況不況の波は江戸時代にもあって、ほとんどの藩が財政難に陥っていたが、260年もの間、どの藩も年貢の大幅引き上げができなかった。
その理由として堺屋太一は「武士が軍事力を持っていなかった」ことをあげている。戦国時代の武士は軍人だったが、寛永年間(1624−44)以降になると、武士が軍人として行動することがなくなった。つまり、武力を持たない公務員となったというのである。

このことは、江戸時代の武士階級の性格を決定づけることになった。
幕藩体制下で武士階級は公務員となり、上級武士(旗本他)は官僚化した。この新たな身分の創設がその後の日本社会を良くも悪くも左右する。

江戸時代の武士と現代の官僚はよく似ている。元禄時代などの好況期には市中の民間人のほうが羽振りがよく、公務員は相対的に貧困化し、卑屈になっていく。それが不況期になると元気を取り戻して、時として「改革」という大義名分を掲げて「暴走」するのである。


堺屋太一「歴史の使い方」本文より引用
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徳川幕府は大阪の陣(一六一四−一五)が終わると、各藩に武装縮小を命令し、それが実現すると自らも軍備を減らした。このため、ついには警察力以上の武力は持たない非武装国家となったのである。

江戸時代にも、全国各地で一揆はあったが、武士が軍事行動で弾圧した例はほとんどない。大体が一揆の衆と交渉して、譲歩と脅迫で一揆農民の分裂を待った。結果としては問題を起こした奉行と一揆の首謀者の双方を、喧嘩両成敗という形で処刑することで納得させるのが常であった。

これでは年貢の大幅引き上げなどできるはずがない。経済が成長し、文化が華やかになると、武士は貧困化する。だから不況と弾圧で世の中全体が暗くなるのを喜んだのだ。

実はこれと同じことが今日の官僚にもある。バブル景気の頃には、「できの悪い」不動産屋や建設業者の豪遊振りをキャリア官僚たちはうらやましく眺めていた。中にはバブル成金の接待を喜んで受けたものまでいる。ところが、不況に陥った今は大いにご機嫌、「やっぱり高校時代から受験勉強してきたわれわれが偉かったのだ」と言い合っている。時代が変わっても人間性は同じなのである。


支配階級のはずの武士たちは貧困化が続いても、享保や天明のころには不況と弾圧で相対的地位が回復するのを喜ぶ気力があった。ところが十九世紀に入り、文化文政の華やかな時期を経験すると、それもむなしく思えるようになっていた。さりとて、不況政策以外に武士の相対的地位を回復する知恵もない。そんな中では、領地を幕府に返上して隠居したい、という殿様も出たほどだ。

幕末の世相を考える上で、まず大事なのは経済が一八二〇年からコンドラチェフ波動の長期下降局面に入っていたことだ。特に一八三二年から六年間も続いた天保の大飢饉は深刻で、寒害にあった東北地方はもちろん、全国商品流通が止まったことで「天下の台所」大坂も大不況に陥り、人口は激減した。「大塩平八郎の乱」(一八三七年)はその現れである。

幕府は水野忠邦を老中首座にして「天保の改革」を試みたが、わずか2年で失脚する。すでに幕府には安定社会を維持しようという意欲が失われていたのだ。このため、黒船の発した「進歩」を正義とするメッセージに共鳴する者も多かった。
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※「コンドラチェフ波動」:約50〜60年で繰り返す好不況の波(景気循環)。
posted by ラッキー at 18:34| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本が危ない! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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