素晴らしい日本だが、どうも病んでる人間が増えている気がする
私の好きなブログ「外から見る日本、見られる日本人」の今日のコラムは現在の日本の社会状況を適切に捉えていると思う。詳しくは氏のブログをご覧いただくとして、私も一言加えさせていただきたい。
氏は始めに「切れる若者」として、最近起こっている若者の殺人事件から入り、その理由を列挙している。私も同感である。
簡単に云ってしまうと「核家族が進み、人間の絆が失われた」結果であろう。便利になった社会とか食生活の変化などは、核家族となった家族構成の変化によってもたらせたもので、日本でなくとも核家族となった先進国はどこも似たような社会環境である。
昔、「鍵っ子」なる言葉が流行ったことがある。共働きの両親が家を出てしまうと、残った子供は鍵を持って学校から帰ることになる。それが珍しかった時代は大分前のこととなった。
都会ではまだ公共の乗り物を利用するが田舎ではほとんどがマイカーである
モンスターペアレントの出現は、家族構成よりも「戦後の民主主義世代」と関係しているのではないだろうか。このテーマを取り上げると、メディアの存在から米国による日本民族破壊工作、とどんどん広がざるを得なくなる。
そこで、個人レベルでの原因として、「自分勝手」になってしまった親の世代を指摘しておきたい。
便利になった時代が実は社会的に不便なものにしている実例がある。私がホテルを経営している時に実感したことである。
車社会となり、誰もが好きな時に好きな場所へ行ける時代になった。すると、従業員の応募に来る半数以上の人が、平気で「自分の要求をする」のである。思考回路がまさに「自分勝手」になっていたのだ。
まだ、マイカーなど無い時代には、バスが来る時間前にバス停に行き、一台のテレビを皆で見ていた訳である。つまり、生活における社会環境は必然的に「合わせねば」暮らせない状況だった訳である。
家庭も学校も会社も社会生活の営みにはそれなりの「協調」が必要だった訳である。「自由」のみが先走り「責任」は伴わない社会の出現は「責任」を後払いする形となってしまった。
もっとも、高級官僚や大物政治家などは、その「責任」すらもとらないのだから、何をか云わん、であるが。
日本の官僚主義や社会システムなど諸々の事を考える時、「日本人に生まれ良かった」と思うと同時に「日本に住まなくて良かった」と思うのである。サッコーン!
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