2014年06月24日

アメリカのど田舎とタイのど田舎

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    シアトル郊外カークランドの半農のワード家

1970年代(1973年から1982年まで)にシアトル郊外にあるボッソル高校へ転校した当初、ホームステイ先だったワード家はカークランドのど田舎に住んでいた。

現在私が住んでいるタイ(サコンナコン県のパンナニコム村)の住居に非常に感じが似ていた。

ワード家の両親は私を気に入り、ボッソル高校へ転入できるよう校長に掛け合ってくれて私費留学の門を開けてくれた恩人である。しかし、住居は当時のアメリカでも中上流家庭ではなく、所謂ミドルクラス、中流の下の方の家庭であった。

親父はニューメキシコ州出身でゼネラル・エレクトリックの現場勤めのブルーカラー。おっかさんはパートタイマーで生活費を捻出する敬虔なバプティストであった。

母屋の平屋には三部屋有り、両親の寝室と二人の姉妹ボビー、キャシーの部屋となっていた。息子のトムが母屋の裏にある小屋に住んでいて、私はトムの部屋に同室とされた。

この小屋は前の年にYMCAのホームステイで案内されステイした部屋である。この小屋が非常に貧乏臭いのだが、あえてアメリカの農場に来たのだと自分を納得させていた。仮の宿と考えれば一週間のステイは「冒険」のようだった。

だが、留学となると一週間では済まない。一年間通してこの小屋に住むのは地獄だった。元々、長男のトムとは相性は良くなく、我慢の限界が来て、最後は高校で知り合ったルイジノ(イタリア人の兄弟)の所に転がり込むことになる。
  
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    昔ホームステイした時代が蘇る現在の田舎暮らし

現在、パンナニコムでの小屋生活もこれと非常に似ている。どちらの家庭もよく似ていて友人関係との付き合いを持たない。もっと正確に言うと経済的余裕が無い両家庭では付き合いができるほど資金が無いのである。

「家庭的」という表現がいろんな場所で使われるが、私が考えるに、そのような家庭は基本的に貧乏で金銭的ゆとりが無いから付き合い(近所、友達)ができないのだ。この二家庭はその模範とも言えよう。サッコーン!



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posted by ラッキー at 00:02| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | シアトル留学時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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