2010年06月28日

国際混合チームとなった新設サッカー部

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    アメフトからサッカーに転向したヒロシ

私が編入したボッソル市立高校にはサッカー部が無かった。1974年、ベルギーからの転校生、後に私の義兄弟となる同じシニア(三年生)ルイジノがサッカー部を立ち上げるため行動を起こしていた。

ルイジノは父はベルギー人だが、母はイタリア人でサッカー少年だった。まず、三年生から声をかけ始め、それから二年生と徐々にメンバーを増やしていった。

ボッソル高校には海外からの留学生が何人かおり、ほとんど全員がサッカー部新設に参加した。

イタリア人ルイジノを始め、日本からの私、スウェーデン出身のハンツ、チリからのハヴィエル、チリからはマリオ、横浜からひろしと日欧南米を含める混合チームだった。ハヴィエルとマリオは当時ほとんど英語はできなかった。ひろしもまだ会話力を持っておらず、留学生で英語が話せるのはルイジノと私くらいだった。

コーチ(監督)はサッカーなど何も知らなかったMr.バスタッシュで、コーチを引き受けてからサッカー本を読み始めるという具合で、チームとして成り立つのかまったくの白紙だった。

ところが、地区大会の第一戦、何と勝利してしまったのだ。スコアは確か2−1だったと思う。私は初戦でアシストを演出した。

最高な滑り出しだったものの、その後は敗戦が続いた。ミーティングをやってもイタリアスタイルから南米スタイル、私のサイド攻撃など異論が噴出してなかなまとまらない。

それでも、前年度優勝校の対ニューポートの最終戦、予想を覆して何と我々が勝ってしまったのだ。この大番狂わせは学校新聞にも大きく載り、私のゴールとアシストは評判になった。

その後、母校のサッカー部がどうなったのか何も分からないが、ボッソル高校の同窓会などあれば、参加して聞いてみたいことである。


posted by ラッキー at 23:28| バンコク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | シアトル留学時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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