2009年12月11日

高校時代の英語の成績は「2」

    09 dec 11.JPG
    先輩の友人と知らずに交際を始めたキャロリン

私は中学から高校にかけて自分のカリキュラムで英語の勉強をしていた。中学時代に英語の先生に「何故、日本人は8年(中学3年、高校3年、大学一般教養で2年)も英語を習っても英会話ができないのか正したことがあった。

当時の長洲という女性の先生曰く「文部省の要綱に沿って勉強すれば、できるようになるのです。」という答えに呆れて職員室から出てきた覚えがある。

そこで、自分で英会話の学校に通うことにした。学校で出る宿題など何もしなかった。だいたい、和訳が中心だった当時の授業内容は全くつまらないもので、興味が湧かなかった。

英会話を中心に世界中に友達を作ろうとペンパルと文通を楽しんでいた。最初の文通相手はなんとフィリピン、ミンダナオの学生でテシー・サムソンと言った。テシーを手始めに、フィンランド、ポーランド、スウェーデン、英国と手当たり次第に文通相手を増やしていった。小遣いの半分は切手代に消えていたくらいである。

高校2年の時、参加したYMCAの英会話研修旅行でシアトル郊外のワード家とスポケーンのバートン家にホームステイしたことは度々書いてきたが、このワード家から留学生としてアメリカの高校に転校しないかという打診があった。

両親は東大の教授を旦那に持つ友人に電話で相談したり、中学の恩師に相談したりといろいろ考えたようだった。

ある時、この留学話を聞いた先生から職員室に呼び出された。何を言われるのかと思ったら、この教師は私に留学するのを諦めるようにとアドバイスしたのだ。理由を聞くと私の英語の成績だった。

5段階評価の下から二番目、「2」が私の通知表に書かれた数字だった。そこで、私は自分の自論を先生に披露した。

「日本で行われている英語教育のシステム、つまり和訳を中心とする作業は英会話には向いていない。英語は英語のまま、理解すべきで、私の成績は立派に留学するために通用する成績である」
先生は渋々、私の自論を認めざるをえなかった。その後は何も言わなくなった。そんな会話を聞いていた別の先生たちはおおいに結構と賛成してくれた。

和訳の翻訳などで当時の成績が決まっていたのだから、評価とは一体何なのだろう、と学校の英語の成績など相手にもしなかった。

ポチポチっとクリックしてくださいますか飛行機
にほんブログ村 海外生活ブログ アジア情報へ にほんブログ村 海外生活ブログ 海外留学へ にほんブログ村 海外生活ブログ サイパン情報へ


posted by ラッキー at 11:36| バンコク | Comment(0) | TrackBack(0) | 少年時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
キャンペーン
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。