
オーストラリアからの留学生パティ
母の薦めで通った小学校時代の書道は約4年、初段か二段までは取ったと記憶している。しかし、三日坊主で辞めたそろばん塾。やはり自分が出来なかったり、知らない他人が多いところは苦手だった私だが、英会話だけは違った。
中学3年生の最年少で入った英会話スクールだけは、休み休みしながらも継続していた。それには自分の心にはっきりした動機が存在したことと無縁ではない。
はっきり言って中学時代から英語は好きな科目ではなかった。というより、一番関心が高たったのだが、先生の教え方がつまらず嫌いになっていた。
しかし、外国へ行きたい、海外でブロンドの可愛い子と話がしたい。出来たら付き合いたい、との思いが強くそれが動機としてずっと心にあった。
思い出せば子供時分にテレビで見た白黒放送の少年ケニアにケイトというブロンドの少女に恋をしていた頃から外人に憧れていた。
兎に角、そのような思いが続いていたのか、習い事、途中休んだりもしたが、続けて通っていた。私にしては大快挙である。
私は英語がやりたかったのではない。英会話をマスターしたかったのである。スクールにはラボもあり、流れてくるテープを聴きながらリピートするという練習室もあったが、最初から「人と会話」がしたいとラボは敬遠していた。
だが、ある時、仕方なしにラボに入り練習していると、何故そのラボが大切かに気が付いた。要するに自分の物になるまで反復練習を繰り返すためだった。理屈が分かると俄然集中することができた。
高校時代になると街中で出会う外人という外人に声を掛けていた。2年になる頃にはほとんどの滞在中の外人は知り合いだった。家が料亭だったこともあり、その外人たちを招待し日本料理をご馳走してもらい会話の練習したことはたびたびあった。
私が英会話が得意で外人の友達が多くいるのは高校の先生の中でも評判だった。ある時、私が好きではない先生から声を掛けられた。廊下を歩いているとき、その先生に呼び止められた。「おい、○○、お前、外人の友達が多いと聞いたが、誰か私の息子に英会話の個人教授できる人いないか?」
生意気だった私は好きではない先生からの頼みに「考えておきましょう」と言い残し、その場を去った。好きで尊敬している先生なら二つ返事でOKしたけれど。好き嫌いがはっきりしている所はすでに外人(アメリカ人)ぽかった私である。
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