由緒ある三の丸小学校
子供の頃、母に聞いた話である。近所の裕福な家庭や上の教育を望む商人の家では国立大学付属小学校へ入れるのが流行っていたらしい。私の家も実家が日本料亭で付属小学校へ行けなくは無かったが、母は普通の市立の小学校へ入れた。その理由はごく普通に一般の人と交わるのが大事だと考えたからだったそうだ。
市内の由緒ある三の丸小学校は商人の多い街中の生徒と千波地区の農家の子供たちと半々くらいだったように記憶しているが、バランスが良かった。
以前、ブログにも書いたが6年生の時まで在日朝鮮人の子供たちも一緒に机を並べていたのだ。母の考えには改めて感謝する次第である。子供の頃に体験する多くの出来事がその後の人生に多大に影響する。
6年の時の遠足は決定的な出来事だった。行き先は東京で羽田空港の見学が私をその時から「海外」を近いものにしてくれた。遠足から戻ると教室ではその思い出を作文にしたり、絵を描いたり宿題になるのだが、多くの生徒と私はその当時から感性が違っていた。すでに「国際派」だったのだ。
父親参観日に家に戻り、父と風呂に入っていると、突然言われた。「おお、お前の今日の答えは一番良かったぞ。」教室で先生から聞かれた問いは「大きくなったら何になりたいか?」と言うものだった。
それぞれの生徒は「医者」「看護婦」「警察官」などであったが私の答えは「国連の事務総長」であった。もちろん、今はパタヤでののんびり暮らしであるが、過去を紐解いたとき、自分が歩んできた道は「個人的NGO」でまったく国連とは縁が無いが思想は近いものがあると自負している。
遠足で行った羽田空港
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