
曇天、雷雨、豪雨が四か月も続くのだ
今朝、早朝田舎村パンナニコムに戻った。深い眠りから覚めた私の目に入ってきたのはどんよりとして曇天と上がりそうな雨だった。
私はまだぼーっとした頭で一年前を思い出していた。パタヤで過ごした7年間、何が素晴らしかったかというとそれは天候であった。
お天気は誰にとっても公平である。しかし、場所によって大きく変わる。農耕民族の多くの日本人は元来、居住を動くことを滅多にしない民族である。タイ人にとってもそれは同じと言えるだろう。
だが、狩猟民族の連中は居住地を移動することは朝飯前であり、それはごく普通の生活様式なのだ。
多くの欧州人が年老いてからの老後を暖かい場所で暮らしたいというのは、やはり狩猟民族の感性と言っても良いのだろう。それに大昔は大家族性だった欧州社会も長生きするようになり、家族も小家族となり、生活環境は激変した。

冷えたお強など美味い訳がなかろうが・・
実は私も感覚的には狩猟民族の欧州人に似ていて、何でもかんでも日本で生活するという価値観を持っていなかった。20代でガイドをしていた時分から、「できれば将来は外国で暮らしたい」と思っていた。
ただ、途中で家族の土地問題から会社存続問題などが発生し、大分違った路線を歩むことになった。50歳前に全てを「ご破算」にして、タイに辿り着いたは良かったが、その後がまた難しい問題を提起されて。
どうやってタイで生きていくのか?正当なスタイルのビジネスで勝負するには体力(資金)が無いと思っていた。すると、次に可能なのが、信頼できるタイ人のパートナーを持つことであう。
この方法も多くのファランが実践済みであり、成功者も多くいるが、その影に隠れた失敗者も成功者の10倍はいると思われる。ハイリスク、ハイリターンというのがマッチした表現だろう。
そして、私は今、最高な場所にいる。一年間、この田舎に住んでみて分かったことは「最早これまで」、もう十分だということだ。ここから脱出すべく舵は切られた。サッコーン!
