20年前の離婚時に別れ離れになっていた息子に再会した家内。当然、娘ネーンも実兄に初めて出会ったのだ。これだけなら「喜ばしい美談」なのだった。
だが、はるばるノンカイからタイ正月の休暇を利用して、やって来て再会を果たしたばかりだというのに、今度は家内が娘を連れてノンカイに訪ねて行くというのだ。
これに「待った」を掛けたのが、長男ジェイクである。どんな言い方だったのかは知らないが、極普通に考えれば、普通のアドバイスだと私は思った。
家内は「兄がとんでもない言いがかりで、私のノンカイ行きを非難するのよ」と夕食のテーブルで言った。私は家内に「誤解だよ。兄さんは普通のアドバイスをしただけだよ。そう、感情的になるなよ」と諭したが、それが油を注ぐ結果となった。
家内が「激情型」で理性的に話ができない。私が「兄さんは、良く注意しないと他人の目があるから誤解を招くよ」ということを言いたかったのだろう。
就寝前に私はパティオで家内と話をした。久しぶりの会話である。「何故、息子が見つかったことをすぐに言わなかったんだい」と聞いたが、答えは「激情型」だった。
「何故、ノンカイにまで出掛けるの?」息子に会いたくて行くのは百も承知だ。だが、敢て、家族旅行で散財した後、また出掛けるのに予算なんか無いだろうと言うのがポイントである。
この時、「元旦那が息子と迎えに来る」と家内は言わなかった。今月の家計に入れる資金を4割増してくれというのを聞いて、今度はこっちが激怒した。何の計画も無しにただただ家庭サービスと言う理由で散財していたら霧が無いではないか。この辺が「なんてったってタイランド」なのだ。
あまりに理不尽なので、今朝になり長男に彼の真意を聞いてみることにした。すると、私が思った通り常識のある見解を披露した。
私が「無計画で出費していたら、いつまで経っても借金生活から脱せないし、計画した一年で脱出の目標も達成できない」ご愚痴を溢すと長男は私に理解を示した。
別れ離れになっていた母と息子の再会の感動は理解できる。だが、その後、別れた旦那の所へ娘を連れて泊まりがけで出掛けるというのは長男も私も非常識だと判断する。
この会話を娘が盗み聞きしていた。そして、長男が言った「行く必要は無い」という言葉にショックを受けたようだ。
夜になり、家内がパティオに出てきて、「いったい兄さんと何を話したのよ?」と私に詰め寄ってきた。私が考慮する事案と長男の思案することは極めて近いもので、説明したが、「激情型」の家内は泣きながら「あなたは自分の子供がいないから分からないのよ」と他人の感情はまったく無視の家内なのである。
そして、家族旅行も今回のノンカイも旅費は自分の懐が痛まない旨を主張した。ここは「タイランド」でござるぞ。話、半分以下にしておきたまえ。
全額賄われるといっても、自分の懐がまったく痛まないことは絶対に無いことだ。多少とも出費を余儀なくさせるのは当然であろう。
普段でもまともに話ができない家内なので、ジェイクと腹を割って話したのは家内には理解できないようだ。少なくとも私の中では、ありがたかった。
ところが、それが今度は夫婦喧嘩に発展してしまうとは。家内は時間が経てば収まるが、娘が傷ついてしまったことが私にはショックだった。ポチポチっとクリックしてくださいますか
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posted by ラッキー at 00:28| バンコク ☁|
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