
70年代のロスアンゼルス
中学校の同級で仲の良かった真美が米国在住でニュージャージーにいる。先日、フェイスブックを覗いたら、どうやら真美は米国の市民権を獲得したようだ。本人が喜んでいるのだから、「おめでとう」と言ってあげたいが、どうも素直に喜べない私である。
10代で渡米し、26歳で帰国した私は自分の夢(米国永住)が粉砕され、しばらく立ち上がれないでいた。
しかし、その後ユニツアーズに専属ツアーコンダクターとしての仕事を得た。そのきっかけとなったのが、真美である。私がいて現在の真美があり、真美がいて現在の私があると言えよう。
その後、彼女は米国で知り合った旦那と一緒になり、やっと市民権を得たという訳だ。一米国市民として、いろんな権利を得た訳だが、果たしてそこまでして得た益はあるのだろうか?
一方、私の方はツアコンとなり80年代、中国を始めアジア各地を周り、早くからタイには希望を持っていた。当時からリタイヤするなた「タイ」と決めていた節がある。東南アジアの優等生となったタイにはまだまだ古き良き時代が残っており、少しずつ前進する姿は私にとって好ましい。
先日、「フューチャーショック」という映画を40年ぶりに見た。70年代にアルビン・トフラーが書いた本の映画化である。
氏曰く、「社会の変化のスピードが速すぎると人間はついていけない」と言っている通り、現代の変化のスピードは国や地域によっては早過ぎる感が否めない。
それから、私のスタンスは基本的に「アンチ・ステート」、つまり国(ネーション)とは誰(為政者)がどのように運営しているのかという疑問が常にあり、どこの国であれ信用できない。それと共に私はやたら規制で縛られるのは嫌いなのだ。「法律」や「条例」やら、ある程度は仕方ないとしても最小限であるべきと考える。つまり、法律を作る国会議員が仕事をすれば、どんどん法律は増えていって息苦しい社会となる訳である。すでに70年代にDr.ロスのクラスで学んだ社会学である。
民衆にとって敵、つまり相手とは自国の政府であり、他国の政府なのである。それが私の信条であり、昨今ネットでも話題の遺伝子組み換え食品、医療制度、税制、大企業保護、中産階級破壊、などを考えると必ずしも現在の米国が理想とも思えないし、日本も世界水準の生活を勝ち得たと見えるがそれが日本人を幸せにしているとも思えない。
むしろ、素朴さが残る人間らしい暮らしをしているタイ農村の暮らしの方が意外と幸せなのかも知らない。俗世間から離れてみればそういうことになる。サッコーン!
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