
平成2年、バブル崩壊時に
開業した
ホテル現在、パタヤに住んでいる私だが、それは過去からのつながりであり、何故こうして海外で暮らすようになったのかの
証明でもある。
元々、17歳でシアトルの高校へ転校し、以来海外での暮らしが自分の基本になっていることは、すでにブログをお読みの方には理解していただけると思う。
そして、ツアーコンダクター時代を通して、アジア各国との接点を持ち、或いはサイパンに
日本語教師として赴任し暮した経験がこうして海外リタイア生活を決めた基礎になったことは間違いない。
しかし、決断するに至ったもっとも
大きな原因は「平成史」にあると言っても過言ではない。事実、ツアコン、日本語教師を辞め日本に戻ってきてからが丁度私のホテル経営史と重なるからである。
細かいことや経済の詳しい説明は自分の専門以外なので、解説はできないが、ホテル経営を通して見てきた平成の日本における経済、そして政治のお粗末さに呆れかえったというのが真相である。
丁度、帰国の際、私が高く買っていた紺野典子氏の「平成経済20年史」を見つけ、読んでいるところである。前述した通り、1990年、平成2年9月に
オープンしたホテル経営とは正しく平成史その物と言っても外れていないわけだ。
時代の移り変わりは、それまでと違い中小零細企業の社長など気楽な稼業では無くなっていた。いろんな本や雑誌、或いは新聞等などで「経営者批判」の記事を読むたびに、そんなに経営者の努力が足りないなんてあるのだろうかと思ったものである。
確かに、少なからず怠けて努力を怠る経営者も皆無とは言えないだろうが、大方の経営者はその人ができる限りの努力はしていると思う。しかし、大きな流れには逆らえないのである。
私は経営者の一番の「資質」はその大きな社会的政治的流れを掴むことであり、進行方向を定める力だと信念を持っていた。そして、経営が行き詰る時は「
金融機関」から「駄目」を出される時であり、そこが
ゲームオーバーと考えていた。いろんな考えはあるだろうが、それが私の
ビジネスに対する基本理念であったことは最初に会社を引き受けた時から決めていた。
株の売買、商工会議所主催の
セミナー、銀行系のファミリー会の催し物など一通り、顔を出したのは常にこの大きな流れを掴むためである。
後で判ることになるバブル崩壊の平成初めからずっと続いてきた日本売国奴による支配は何万という日本人の命を奪ったと考えている。言うならば「戦死」同然である。そのような的確な「読み」があったからこそ、いろんな決断ができたのだと思う。
今年8月亡くなった父と現在80歳の母には多大な迷惑を掛けたし、すべて救ってくれたのは義兄弟であるN社長である。自分は本当に恵まれていると神とN社長には感謝の気持ちで一杯である。
できるだけ多くの人にこの紺野典子氏の「平成経済20年史」を読んでいただきたいと思う。その中に「経済」の大きな部分で今までの高級官僚と自民党政治が及ぼしてきた国民負担の現実を見つけていただきたい。
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posted by ラッキー at 12:07| バンコク

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経営者時代
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