パタヤ移住二年生が送るエッセー「パタヤの風に吹かれて」へようこそ
シアトル、サイパン、パタヤと海外生活ベテランの随筆をお楽しみください
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2009年07月12日

後継者を探し出した日

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    後継者に育てるべくスカウトしたY君

私が横川(仮名)という青年に出会ったのはホテルの近所のセブンイレブンであった。近所には幾つものコンビ二があったが、そのセブンは清水というマネージャーがおり、とても気さくな人で馬が合ったのだ。

サービス業という仕事がら、ついつい従業員の仕草など観察してしまう癖で、どのコンビ二の従業員がしっかり仕事をしているかなど観察していた。

この清水というマネージャーの下、深夜勤務で働いていたのが横川君だ。彼はまだ18になったばかりだったが、小太りには似合わず素早い動きでレジ処理をする。客が少しでも並ぶと動きが早くなるのだ。見ていて実に気持ちの良い働きぶりだった。

従業員が揃い、何事もなく経営できる体制の時は買物に寄るついでに清水さんの誘いでセブンの事務所で休憩したりもしていた。そのせいでこの若い横川君とも話をするようになっていた。

私は露骨な引き抜きはしない。そういう手法は邪道だという信念があったからである。卑怯な手を使ってでも他店の従業員を引っこ抜くなど手法に構わぬやり方は私の流儀ではない。正攻法、王道を行くというのが自論であった。

清水さんが休みのとき、何度か横川君と話す機会があり、その度にいろんなアドバイスを彼にしていた。半年も経つ頃にはマネージャーの清水さんと三人で飲みに行くようにもなっていた。

そして、ある晩、突然携帯が鳴った。横川君からだった。「社長、申し訳ありませんが、○○警察署へ乗せていっていただけないでしょうか?」??「どうした?」と聞くと、彼の父が遺体で発見されたというのだ。ショックだったが、「今、すぐ行く」と車で飛び出した。

身元確認のためである。横川君の父は近くで農機具販売の会社を経営していた。折からの不景気で会社は借金まみれだったどうだ。傷が深くならぬうちに止めるように妻が諭したらしいが、50過ぎの父親には進路を転換する勇気が無かったのだろう。無理もないと思う。長男の横川君をはじめその下に弟と妹がいたのである。

子育てが終わるまでもう少しという気持ちと、それまで何とかやってきたという自負、それに商売変えする不安など、総合して考えるならば横川君の父の選択は理解できるものであった。

だが、それが仇になってしまったのだ。結局、息詰まって相談する相手も無く、自殺という最悪の道に嵌ってしまったのだ。

気の毒な横川君を励ますのは簡単なことではない。しかし、長男として彼は実にしっかりしていた。

父親を葬った横川君が私の会社に入ったのはそれから間もなくだった。

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posted by ラッキー at 10:29| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営者時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

50年続いた老舗割烹料亭を継がないと決めた兄

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    全員参加になった最後の慰安旅行

戦後、焼け野原からいち早く魚屋を開業し、続いて割烹料亭を出した祖母、そして二代目の父、それを継ぐはずだった兄、事実大学を出た兄は就職浪人になることは諦め、家業を継ぐべく実家へ戻ってきたのだ。

そして、父母と一緒に料亭を経営しているはずだった。私はサイパンから戻った家の土地購入の問題を知ると最初はてっきり兄の意思は家業を継ぐべく方針でいるものと思っていた。

ところが、家族会議の席でその兄が「家業の料亭はやらない」と宣告してしまったのだ。唖然とする私だったが、父母共々あっさりそれを認めてしまったのだ。後で聞くと「どっちみち、兄には店を継いでやっていける自信もないだろう」と兄の資質を見抜いていたようだ。

事実、その後の展開は私が「地下に潜り」両親がA不動産に騙されないように、影から応戦する形になり、兄は売却後のビジネスを模索することに決まった。

6軒の地上権者をまとめるのはA不動産も一苦労した。一番敷地面積の多い父が承諾すれば、残りの地上権者は簡単に落とせるとA不動産は考えていたようだ。事実、「お任せします」ということを父は話していたようだ。

幸い、天の助けもあり、地上権の売却はうちの不利益にならずに済んだ。というより、親友のN社長のお陰でうちの利益になるように交渉がまとまったのである。すべてN社長のお陰である。

そして、次に持ち上がったのが、その売却益を無駄にしないような税法上の処理策である。事業資金であるべき売却益であるため、再投資を行わなければならない。そうしないと半分は税金で持っていかれる状況になったのだ。

幸い、兄は事業は継ぐ意思を示さなかったが、事業をする気は見せていた。私はすべてがうまくまとまるように影になりN社長と打ち合わせを繰り返していた。そして、元年の念頭からいよいよ契約となるころには長年勤めてくれた従業員対策を担当することになった。

事業閉鎖の報告やその後の従業員の再就職などいろいろ経営者としての責任ある仕事が残っていた。しかし、父母は毎日の経営が忙しく閉店に向けての準備などしている暇はなかった。

私は閉店発表とともに従業員がすぐに辞めてしまわないよう、閉店後の慰安旅行など皆が頑張ってくれる姿勢に報いるためにも全力を尽くした。かなり年配の人も混じっていたが、全員、初めての海外旅行に出かけることに同意した。不参加者が出るかと心配した私は拍子抜けした。

パスポート取得の手配などはすべて私が手伝った。旅行会社に頼む必要はまったく無かった。そして、料亭をすべて閉めた後、すぐに三泊四日のサイパン旅行に慰安に行った。

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posted by ラッキー at 01:21| バンコク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営者時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

時はバブル最高潮

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    バブル最盛期にオープンしたホテル

昭和63年、サイパンから戻った私を待ち受けていたのは両親が経営していた日本料理屋の土地問題であった。戦後、大通りから県庁前に店を移した店舗の地主東京在住で高齢になっていた。

その地主は後妻さんで遺産の相続問題から生前分与を考えていた。そこでうちを含めた6軒の地上権者に対して土地の購入を求めてきたのだ。

6軒のうち、商売をしていた家は5軒あり、残りの一軒も賃貸をしていた。いわば全員が商売をしていたことになる。

6軒の中に角地で商売をしていた中央○○という不動産屋があり、そこの社長が東京の地主の売却依頼を受けていた。A社長が最初に近づいたのが私の父であった。150坪という日本料理屋の敷地面積が一番大きかったためと思われる。次に大きい土地に建った主が90坪という規模なので総面積約400坪なので対比的に重要度が分かる。

私の父は典型的な職人で、その道ではかなりのプロだと思うが、不動産関係などは縁もなく「ど」付きの素人であった。その上、人がよく、理解もせずいい加減な返事を不動産屋にしていた。

サイパンでの将来性に見切りをつけ日本に帰国したのはオーストラリアに移住するベースを作るためであった。シドニー・オリンピックを控えていた豪州で日本語教師を目指そうと考えていた。

しかし、サイパンから帰国すると、実家がこの土地購入問題に巻き込まれている話を聞き、ことの進退を見守ることにした。私にはどうも父がこの問題に対し、正しく対処できていないように思われていたからである。

17歳で外(海外)に出してもらえたお陰で、危険信号の予知能力が発達していた私には町内の不動産屋の動きに臭い匂いを嗅ぎ取っていた。自分の豪州行きを先延ばしにして、実家の問題の手伝いをすることに決めたのは長兄が頼りにならないと分かったからである。

父のこのような問題に対し、本来長男である兄がもっと関心を持って対処していたら私の運命も違ったものになったであろう。別に人に自分の人生の責任を押し付ける気は毛頭ない。これは、ただの事実である。

その後、この不動産屋と6軒の家の購入問題が長期化する展開となり、私の豪州行きは延期となったのだ。

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posted by ラッキー at 11:09| バンコク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営者時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月09日

世界で一番きれいな色の海

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    世界で一番美しい色の海

サイパン赴任中に何度か船で沖合いに出た。世界で一番日中の温度差が少ないとされるサイパンの陽の光は本当に強い。そして、その光が海面を照らすとき素晴らしい色彩を見せてくれる。

濃い色合いではなく、本当にエメラルド色というか実にきれいなブルーとグリーンの淡く混じった色合いを見たとき、「世界一」と感じた。

インドネシアのバリ、ワイキキ、沖縄の海、さらにホアヒンなどいろんなビーチを訪ねたことがあるが、海の色で言えばここサイパンの海の色は格別である。

ただ、残念なのはこの色を見るためには、船で沖合いに出なければならないことだ。サイパン島の方から見る姿だけを見れば他にももっときれいな景色のビーチはたくさんある。

でも、島を訪れる機会がある人は是非、船に乗り沖合いに出て欲しい。そして、この素晴らしい色彩の海の色を楽しんで欲しいと思う。

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posted by ラッキー at 20:18| バンコク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | サイパン時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

ひと夏に四度の初めてのバースデー体験

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    ホームメイドアイスクリームパーティー

私の誕生月は8月なので幼稚園時代から誕生会には縁が無かった。今でなら夏休みということで誕生会も開けるのか知れないが当時は夏休みというと毎日が同じようにただの休み扱いで両親とも共働きで商売をしている関係上、忘れられることが多かった。

幼稚園にしてもそうだった。4月の入園月から毎月のように誕生会が開かれていたが、8月はお休みになっていて、祝ってもらうことは無かった。

1972年、YMCAの語学研修旅行に参加した私はそれが夏休みということもあり、生まれて初めて誕生日を祝ってもらう機会に恵まれた。

誕生日には二軒目のホームステイ先のバートン家で生まれて初めての誕生祝いをしてくれた。「世界で一番歌われているソング」ハッピーバースデーを歌ってくれた時は少々、心臓がどきどきしたものだ。

そして、歌が終わると同時に火のついたキャンドルに向かい思い切り「ふ〜」と息を吐きかけた。全部、無事消したと思ったら一本、二本、火が消えてなかった。慌てて、もう一度、息を吹きかけた。消えたと思った私は笑顔で席に腰を下ろすと目の前のケーキの蝋燭に火がついているではないか。

焦った私は再び、腰を上げキャンドルに向かい息を掛ける。それを見ていたバートン家の人々は大笑いをしていた。実はこのキャンドルはトリックだったのだ。つまり、「消えないキャンドル」、バートン家の誰かのアイデアでいたづらにこの「消えないキャンドル」を私の誕生日のために用意したのだ。

皆、ケーキを食べたり、歓談したりしながら、最後は末っ子レスリーの弾くピアノと私のギターで演奏したり歌ったりした。バートン・パパも飛び入りでバンジョーを披露した。こうして、生まれて初めての誕生会を味わうことができた。

一週間のスポケーン滞在中にYMCAの理事をやっていたハンナさんから提案があった。私たちBグループとそのホストファミリーが全員ハンナさんの家に集まった。ハンナさんの家のバックヤードにはきれいなプールがあり、そこでホームメイドのアイスクリーム・パーティーを開いてくれたのだ。
8月が誕生月だった竹内順子さんと私のバースデーパーティーを兼ねたものだった。そして、同じ週にもう一度、今度はYMCAのキャンプで祝ってもらうことになった。一週間で三度も誕生日のお祝いをしてもらうことになった。初めての体験が一気に三度も味わえることになったのである。

4週間の研修日程をすべて終え、帰途のパンナムの飛行機に乗っていた。当時は接客と言えばスチュワーデスだと思っていたが、背の高い男のキャビン・アテンダントがやってきた。私は英会話の練習のためどこでも誰でも話した。やってきた背の高いスチュワードと目が合ったので彼と話をすることになった。

自分たちはYMCAの語学研修のメンバーで、四週間どんなことをしていたのか、彼に話した。もちろん、生まれて初めての体験である誕生会の様子なども話した。ニコニコしながら話を聞いていたチーフ・スチュワードのライトさんは「少し、待ってて」と言い残し、ファーストクラスの方へ姿を消した。

しばらくするとファーストクラスのカーテンが開きライトさんがケーキを持って現れた。キャンドルは付いてなかったが、小さなバースデーケーキを私のトレーに置くと大きな声で「ハッピー・バースデー」と歌いだした。それに連れられ周囲の人も皆、合唱してくれた。歌が終わるとライトさんが私に向い笑顔で言った。「お誕生日、おめでとう。これで4度目だね」

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posted by ラッキー at 10:19| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | シアトル時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

売国者たちの末路

パタヤには残念ながら日本の新刊など簡単に手に入らないのでまだ購読できていないが、植草一秀氏と副島隆彦氏の対談が本になっている。両者とも鋭い視点で日本の社会構図を浮き彫りにできる論客である。

一匹狼であった小泉純一郎が何故総理になれたのか?考えても不思議だと思うのが当然であろう。あれは米国のバックが無ければありえなかった話であろう。メディアを使った群集心理をついた戦術は小泉氏だけではできるものではない。

痴漢行為で逮捕という報道に驚いた私だが、当初は何も知らずマスゴミの報道を鵜呑みにしてしまった。未だに多くの人が真実を知らずに報道のみで鵜呑みにしている人は多いだろう。

だが、ネットで植草氏の無実を信じ、彼の冤罪を指示する多くの心ある日本人がいることを知り、私も彼の無実を晴らす手伝いになれるのなら行動しようと思った。

高校時代に習った世界史の斉藤先生曰く、日本を牛耳っている人は誰か、決定権を持っている人間は誰か、という問いがいつも頭から離れない私であるが、インターネットを通して多くの疑問に答えてくれるサイトが多数ある。植草一秀先生の「知られざる真実」もその一つである。

真の国賊、竹中平蔵がたいそうらしく大臣を務め、植草先生が国策捜査により失脚させられたのは許しがたい暴挙である。氏はそれゆえ社会的地位も名誉もすべて台無しにされてしまったわけである。

今度の衆議院総選挙では徹底的に自公政権を破壊しなければまともな国民の生活は絶対に保障されない。すでに自民党は国民を代表するまともな政党とは言えない体質になっているのだ。

植草先生の指摘する通り、高級官僚、大企業、その手先となった政治家ども、そしてそれを後押しするマスコミ外資による国民から離れた政党に成り下がっているのが現状である。

前々回の衆議院選挙の時にチャンスを逃した日本国民が再度、自公政権を望むようなことがあると日本の将来は本当に地獄が待っていると言えると思う。

草の根運動を起こし、行動で示す時期がもうすぐ目の前に迫っている。

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posted by ラッキー at 18:49| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | パタヤから発信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

のんびりしたチャモロライフの一番の楽しみは?

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    何かとパーティーを開くチャモロ人

二年契約でサイパンマウント・カーメル高校の日本語教師として赴任した私だったが島の暮らしに慣れるまでには時間は掛からなかった。兎に角、島全体がのんびりしている感じだ。当時はまだ30代だったのでいささか退屈するきらいはあったが、のんびり生活も悪くはなかった。

新築アパートが約束されているはずだったが、島に到着するとその部屋はすでにキャンセルになっており、連れて行かれたアパートは私の想像を絶するほどの酷さで入居を拒否した。

数日のホテル滞在を経て、副局長のベネットが用意してくれたアパートの大家がリック&メリーだった。この二人には随分面倒を見てもらった。マウント・カーメル高校から歩いて5分の距離にカントリーストアとアパートを経営していたのだ。

部屋も快適で何かと言うと大家は私を食事やパーティーに招いてくれた。後で判ることだが、あまり行事の無い島民の一番の楽しみがこのパーティーなのだった。誰かの誕生日、島から出て行く人の送別会、或いは戻ってきた人の歓迎会と理由は何でも良かった。

これではあるほど選挙が一大イベントになる理由が判るというものである。大きなパーティーになると大概豚一頭を丸焼きにするバーベキューになる。屋外で焼いた豚とビールがご馳走である。

のんびり生活の基本形がこの島にはあった。即ち、「食う、寝る、やる」である。なるほど、これでは島民が皆元気に笑いながら暮しているのも頷けた。

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posted by ラッキー at 13:12| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | サイパン時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

俺は「犬型」、猫は大嫌い!

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    友人のブルースが飼っていた猫

猫好きの人には済まないが、私は猫が苦手である。どちらかと言えば嫌いである。もっと言うと大嫌いだ。

何がそんなに気に食わないのかというと猫は愛想が無いと感じてしまうからだ。少なくとも犬とはかけ離れた性格であるということは言えると思う。犬好き猫嫌いな連中はだいたい同じような理由によるものである。

ウェスタンワシントン大学時代、ブルースの家(と言っても借り住宅)に短い期間世話になったことがあるが、このブルースが猫を飼っていたのである。間借りしている分際で好き嫌い言う訳にもいかず我慢して一緒に住んでいた。

私が呼んでも来た例の無い猫が鮭入りのおにぎりを作っているとき「猫撫で声」を上げて近寄ってくるのだ。普段愛想がまったく無い猫がである。全然、可愛いところがないので「あっち行け」としっしっと追いやるのだが、すぐにまた近寄ってくるのだ。

犬はこちらの態度に応対して、主人と一心同体というところがあるが、どうも猫にはそれを感じないのである。その当時は付き合いにくい女と同じだと思っていた。我がままで自分勝手なところは似た者同士だと考えていた。道理で女のことを「プッシー」と呼ぶのも頷ける。

私は特に「メール・ショヴィニスト」(Male chauvinist)では無いが、そう感じざるをえない場面も多く感じてきた。今ではかなり我慢強くなったが、女性の自己中心的な意見を聞くと爆発寸前の時は随分経験した。

女性憎しから猫嫌いになった訳では決してないが、あの無愛想な猫が我儘に擦り寄って来るのがどうしても好きになれないのだ。やはり俺は「犬型」だと自分でそう思う。



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posted by ラッキー at 16:08| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | シアトル時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

アリタリアのオーバーブッキングでファーストクラスへ

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    オーバーブッキングでファーストアップグレード

ユニツアーズでのツアコンの仕事はツアーのシーズンがあり、プロ野球の選手のようなスケジュールであった。自主トレに入る2月かオープン戦の始まる3月頃に一発目の仕事が入ると10月の日本シリーズの頃まで仕事は続く。

そしてシーズン最後の客をアメリカに送り返し会社でディブリーフィングを済ませると翌シーズンまでシーズンオフとなり仕事は無い。このシーズンオフを利用して私は自腹を切ってスタディーツアーに行くようにした。

それを聞きつけた友達が一緒に行きたいと騒ぎ出した。地元の先輩の大学時代の友達の悪友たちである。偶然にツアー中にマニラ−シンガポール間の機内で再会した先輩と同行していた板橋グループの面々である。

その時、シンガポールの穴場を全部教えてあげたのが縁で「遊びタイ」グループが結成され皆タイに入れ込んだのだ。一人はその二年後にタイ旅行中に看病してもらった看護婦と結婚し、リーダーの板橋氏はその後、タイに移住してしまった。残ったのは鈴木氏と実家が設備屋をしていた石井氏のみである。

この板橋グループを率いバンコク&パタヤツアーを組んだ時のころである。現地タイを飛び立とうとドンムアン空港に到着した時のことだ。深夜発の便が多い空港は客で混雑していた。

皆荷物を集め一箇所へ固まっているとガイドが私の所へやってきて耳槌した。「どうやら、今晩の便はオーバーブッキングが出ているようです。」私はそれを聞くと「何席くらいだ?」と聞き返した。ガイドはまだ分からないと返事をしたが、満員ならアップグレードさせるように指示した。そして、私を含めた四人分をファーストクラスにするように言った。

チェックインの手続きから戻ったローカルガイドの手には二色の搭乗券があった。寄せ集めの日本人グループの人数は20数人であったが、その内7人分のファーストクラスがあった。

ガイドは私に四人分のファーストクラスの搭乗券を渡すと順次残りの搭乗券を配り始めた。五日間のツアーの間に私はガイドと仲良くなっていたのだ。当時、すでにタイ語を話せた上、仕事がツアーコンダクターをいうことで彼は私を慕っていた。

登場時間になりそれまで一緒にいた日本人の客たちは違う色の搭乗券を持った私たちを見て騒ぎ始めた。「どうしてあの人たちは違う色の搭乗券を持っているの?」とか「乗り口が違うじゃない!」などのコメントが聞こえてきたが、そんなことはどうでも良かった。すでにファーストクラスの搭乗券を手にしていた私たちは満悦の笑顔で機内の人となった。

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posted by ラッキー at 12:47| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコン時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

寂れて冷たく感じるよりオンボロの方がいい

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    大通りもシャッター通りになって寂しく冷たい町に

国民が小泉に騙されてから地方経済の沈下が著しい。大企業、大都市を救うことに邁進した結果、格差肥大社会が出現し、それ自体驚くことでは無いが、現実に街の様子を見るにつけ感じることがある。

戦後、焼け野原から再出発した日本は短期間に世界が驚くほどの復活を果たしたが、どう考えてもそれが全てでは無いように思える。人間得る物があると同時に失う物がある、と言われるが失われた物は簡単には取り戻せないのだ。

特に失われた「心」を取り戻すのには相当な自覚を必要とする。ろころが、この自覚の無さが私を失望させる。それを感じている国民は多くいることと思うが、今までやさせてきた官僚などはそんなことはどうでも良い集団である。

古い昔の建物から近代的な新しいビルが建ち、景気が良いころは何とか見られた町並みだが、少子高齢化で歩く人影も少なくなった街を見る度に思うことは「寂れて冷たく感じるよりオンボロでも温かみがある方が精神衛生的に良い」ということだ。

近代化が進むパタヤではあるが、変化のスピードが緩いことを望むのもそのためである。急速な変化に人間がついていくのは限界がある。進化のスピードがその限界を超えた時、社会の崩壊があるような気がしてならない。

何故なら親子三代という言葉があるように「三代」続くことで社会的DNAの存在が可能になるというのが私の自論であるからだ。価値感などを共有できなくなった三代の関係は、即ち社会の崩壊という図式で考えられると思うのだ。

それを取り戻す方法は意外と難しいものではないと考えている。昔のように「貧しくても仲の良い家族、三世代住居」を取り戻せば良いのだ。環境問題、自然問題、資源問題とどの先進国でも抱える問題は同じである。

恐らく、問題を本当に解決しようとすれば、世界は同じように昔ながらの生活様式に戻っていくはずである。

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posted by ラッキー at 16:08| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | パタヤから発信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする