パタヤ移住二年生が送るエッセー「パタヤの風に吹かれて」へようこそ
シアトル、サイパン、パタヤと海外生活ベテランの随筆をお楽しみください
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2009年11月09日

大好き!小瓶のラッパ飲み

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冷えたビール、それも小瓶のラッパ飲みが好きだ。大好きである。私が一番好きなビールの飲み方である。大きなジョッキも悪くないが、ビールは小さなグラスの飲むべきではないと思う。

パタヤでは本当に気安くビールが飲める。ビーチリゾートもさながら、やはりオープンになっているバービアのストゥールに腰掛て飲むビールは格別である。

気安くと言えばやはりセカンドロードのニューパタヤプラザに限る。全部とは言えないが英国人のオーナーの店は格安である。

ローカルビールで35バーツ、そして舶来物が45バーツ。だいたいこの値段になるとバービアではなくカントリーストアの値段だが、このニューパタヤプラザにはホステスがきちんといるのである。

日本でちょっと飲みに出かけると1万、2万と掛かってしまうが、こちらでは1000円もしないでビールが飲めるのだから、比べる方がどうかしれいるかも知れないが、パタヤの方が良いに決まっている。

安くても十分に楽しめて満足できる生活がパタヤにはある。

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posted by ラッキー at 12:18| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | パタヤから発信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月08日

本日もパタヤは晴天なり

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    寒い冬は苦手で困る

日本にいる友人のメールやスカイプのやり取りで大分寒くなってきたと聞いた。「寒い」と聞くだけで寒くなる私である。

今はこうしてパタヤに住んでいるが、日本での最後の棲家だった賃貸のアパートは事業所だったホテルに近いというメリット以外は何も無い、二部屋の寒い部屋だった。

基本的に「荷物置き場」として借りたのだから、生活など考えてもいなかった。だが、ホテル売却と同時にそのアパートに住まわざるをえず引っ越してみると窓にはルーパーが取り付けられ外気がそのまま入ってきてしまう非常に「自然」のままの暮らしだった。

早い話、「夏は暑く、冬は寒い」という前近代的アパートだったのだ。自宅とホテルから持ち込んだ荷物で足場も無く、コタツ布団代わりであり、本当にに厳しい冬は「凍死」するのではないかと心配したくらいである。

親友には「山小屋」に住んでいるようだとよく溢していたのが思い出すと昨日のようである。こうして南国の常夏に暮していると日本の厳しさが不思議なくらいである。

昔から元々椰子の木が好きな私は周りに椰子の木を見るだけで幸福感に浸る。そして、日陰で味わう微風の何と気持ちの良いことか。父親の実家は太平洋を望む町で幼少の頃は祖父母に可愛がられた素晴らしい場所だったのも海辺の町を選んだこととは無縁ではない。

日本にいる母と親友たちの健康を祈ると同時に、パタヤの生活を心からありがたいと思うこの頃である。

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    常夏のパタヤの暮らしは快適だ

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posted by ラッキー at 09:57| バンコク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | パタヤから発信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月07日

スケールの小さな寂しいコンサート

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    集まった客(友人)はたったこれだけ

地元に一時帰国した際、音楽ウクレレ)を嗜める吉さんと連絡を取るとコンサートがあるので出てくるように誘いを受けた。音楽は大好きだし、コンサートも好きだ。素人であろうとプロであろうとよほどの事情が無いと断ることはない。

しかし、地方都市の冷え切った経済の中、スナックというかミュージックバーに行ってみると来客は仲間が6,7人程度と寒くなるような状況。小さなスナック経営のオーナーがアマチュアに場所提供しているような、そんな感じだった。

パタヤ生活の中ではライブバンドの入った店でご機嫌な音楽でビールを飲めることができるし、それも決して高くない。どんなに飲んでもせいぜいビール5、6本程度だろう。70バーツ計算でも420バーツ。日本円に換算するのはフェアでは無いが懐からお金が出て行くのだ。まったく気にせずと言う訳には行かない。いづれにせよ、1500円程度で済むわけだ。

どうも、私はこの日本の店の営業形態である「お通し」とかいう物がすっかり苦手になってしまった。これも恵まれたパタヤに住んでいるからだと自分では分かっている。

ミニ・コンサートも悪くは無いのだが、どうも友人や知人が客というのは緊張感がどことなく見えない。演奏家の方はそれなりに中途半端に緊張していて、客席の方はだらしなく声援を送っている、そんな雰囲気がどこでもしてしまう。

恐らく私が寂しく感じてしまう最大の理由がこの小さなスナックでコンサートを開くからだと思う。あまりにも規模が小さいからである。それでも、店に入りきれないほど来客があるのなら別だろう。そういう状態なら熱気でムンムンしているはずだ。

だが、5テーブル程度しかない小さなスナックに来客が2テーブルではやはり私でなくても寂しく感じるのではないだろうか。

演奏している人たちやそれを見に来た客に文句を言っている訳ではない。それはそれで皆さんハッピーならそれで良いことだ。ただ、私はそんな場所にいると無性に可哀想な気になってきて嫌になる。最後に支払う料金にしてもそうだ。(演奏家ではなく店側に対し)この程度のコンサートなら誰かの家でパーティーした方が相応しいのではないだろうか。その方がもっと盛り上がるに違いない。

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posted by ラッキー at 11:53| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | パタヤから発信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

意味不明な「200円お得」

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    「500円以上お得」の方が効果があると思うが・・

日本に帰国すると私の移動手段は文字通り「足」かバスである。市内だけに限らず、歩ける所はもっぱら「足」、で、バスが便利な場合はバスを利用する。

市内バスはほとんど人が乗っておらず空いているのでありがたいことはありがたい。いつでも座れる。しかし、バスの本数は少なく、一寸離れた郊外などに出ると一時間に一本とか極めて不便なものだ。

そして、利用料金も決して安いとは言い難い。市内の最低区間でも160円は取られる。まあ、諸物価を考慮すると致し方ないのかも知れないが、それではやはり歩こうとなってしまう。

その市内バスに乗っていて広告を見つけた。最低区間の160円の回数券の広告であった。そこには22枚綴りで3000円と出ていた。そして、その脇には「共通回数券よりも200円お得」と出ていた。

それには共通回数券のことは説明されていない。従って、文字通りに解釈すると共通回数券とは3320円となる。何故ならば160円回数券が22だと3520円となるからである。

160円の券が22枚だと3520円となる訳で3000円で購入すれば520円もお得ということになる。何故、「共通回数券と比べ200円のお得」と表示するのか判らない。

空でバスを走らせるくらいなら、もっと大胆な回数券で値引きしてやって利用客を増やした方が良いと思うのだが、バス会社はケチなのだろうか。チケット制とは元々、券を印刷する代金しか掛からないのだから、なるべく多く売って現金化するべきだろう。

となると、別に乗ろうと乗るまいと関係ないのだから回数券などもっと安くしてやって利用客に還元してもよさそうだと私なら考える。高齢化社会の中での不景気、老人たちだって財布の紐は固くなるのだ。

不景気の今だからこそ、利用料金を前払いのチケット制を伸ばして行く方が得策だと何故気が付かないのだろうか。

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posted by ラッキー at 13:11| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | パタヤから発信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月05日

憧れのチアリーダー

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    興奮を覚えたハイスクールのチアガール

1973年にまさかのアメリカ留学が実現した。地元の県立高校を2年で転校し、ワシントンのシアトル郊外にあるボッソル高校へ編入したのだ。

日本ではその頃まだアメリカの高校の単位は認められていなかったが、反対にアメリカでは日本の高校で取得した単位を計算して認めてくれた。ただし、日本では無いアメリカの必須クラスは習得しなければならなかった。

例えばそれはアメリカ史とか英語(日本で国語に当たるもの)などであった。必須科目は英語のハンディがあった私には難しく、あわや知恵遅れの生徒と同じクラスへ入れられようとしたが、そこは頑として拒否し、一般の生徒たちのクラスで授業を受けた。

もっとも大層なことを言っても成績はぎりぎりP、つまりパスで点数はもらいようが無かった。それでも必須科目の単位を取得し、晴れて翌年にはボッソル高校を卒業した。

アメリカの高校で一番目を引いたのが学校の応援団、つまりチアリーダーだった。私の入学時にはレギュラーのチアは6人で選挙で選ばれるのだが、一人だけ二年生がいた。彼女はモーリーと言い一番可愛い女の子だった。

そのモーリーとは学年が違ったが運良くスペイン語のクラスで一緒だった。残念なことにモーリーにはマークという3年生の彼氏がいた。マークは授業の始まる前にスペイン語のクラスに一緒に入ってきて、別れるときに必ずモーリーを高々と抱き抱えるのだった。モーリーはよくチアのコスチュームを着ていて、その度にミニスカートが捲れ上がり下のパンティーがモロ見えだった。その光景には若かったので随分興奮させられた。

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posted by ラッキー at 10:50| バンコク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | シアトル時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月04日

平成2年、ホテル開業とその後

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    平成2年、バブル崩壊時に開業したホテル

現在、パタヤに住んでいる私だが、それは過去からのつながりであり、何故こうして海外で暮らすようになったのかの証明でもある。

元々、17歳でシアトルの高校へ転校し、以来海外での暮らしが自分の基本になっていることは、すでにブログをお読みの方には理解していただけると思う。

そして、ツアーコンダクター時代を通して、アジア各国との接点を持ち、或いはサイパンに日本語教師として赴任し暮した経験がこうして海外リタイア生活を決めた基礎になったことは間違いない。

しかし、決断するに至ったもっとも大きな原因は「平成史」にあると言っても過言ではない。事実、ツアコン、日本語教師を辞め日本に戻ってきてからが丁度私のホテル経営史と重なるからである。

細かいことや経済の詳しい説明は自分の専門以外なので、解説はできないが、ホテル経営を通して見てきた平成の日本における経済、そして政治のお粗末さに呆れかえったというのが真相である。

丁度、帰国の際、私が高く買っていた紺野典子氏の「平成経済20年史」を見つけ、読んでいるところである。前述した通り、1990年、平成2年9月にオープンしたホテル経営とは正しく平成史その物と言っても外れていないわけだ。

時代の移り変わりは、それまでと違い中小零細企業の社長など気楽な稼業では無くなっていた。いろんな本や雑誌、或いは新聞等などで「経営者批判」の記事を読むたびに、そんなに経営者の努力が足りないなんてあるのだろうかと思ったものである。

確かに、少なからず怠けて努力を怠る経営者も皆無とは言えないだろうが、大方の経営者はその人ができる限りの努力はしていると思う。しかし、大きな流れには逆らえないのである。

私は経営者の一番の「資質」はその大きな社会的政治的流れを掴むことであり、進行方向を定める力だと信念を持っていた。そして、経営が行き詰る時は「金融機関」から「駄目」を出される時であり、そこがゲームオーバーと考えていた。いろんな考えはあるだろうが、それが私のビジネスに対する基本理念であったことは最初に会社を引き受けた時から決めていた。

株の売買、商工会議所主催のセミナー、銀行系のファミリー会の催し物など一通り、顔を出したのは常にこの大きな流れを掴むためである。

後で判ることになるバブル崩壊の平成初めからずっと続いてきた日本売国奴による支配は何万という日本人の命を奪ったと考えている。言うならば「戦死」同然である。そのような的確な「読み」があったからこそ、いろんな決断ができたのだと思う。

今年8月亡くなった父と現在80歳の母には多大な迷惑を掛けたし、すべて救ってくれたのは義兄弟であるN社長である。自分は本当に恵まれていると神とN社長には感謝の気持ちで一杯である。

できるだけ多くの人にこの紺野典子氏の「平成経済20年史」を読んでいただきたいと思う。その中に「経済」の大きな部分で今までの高級官僚と自民党政治が及ぼしてきた国民負担の現実を見つけていただきたい。

    紺谷 典子 著   平成経済20年史
    
    

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posted by ラッキー at 12:07| バンコク 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営者時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月03日

平成になって起こっていること

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    未だに空き室が目立つテナントビル

先日のご紹介したが紺野典子さんの「平成経済20年史」を読むと、平成になってからの社会事情がつぶさに書いてある。

すべてが外圧とは言えないものの外圧に屈して国を売り飛ばした官僚や政治家の存在を浮き彫りにする。そして、それに伴い社会が変化していった様子がつずさに見てとれる。

何故、こういうことを書いているかというと、日本民族の特性である、「飽きっぽい、忘れっぽい」というのがある。

政治評論家の森田実氏、経済評論家の植草一秀氏、そしてこの著者である紺野典子氏と、少なくとも私が信頼し活躍していたほとんどが失脚させられている。

いろんな文献を読むと一つの理由に電通の存在が浮かび上がってくる。すべてが経済活動で動いている実態からするとスポンサーの意向は無視できないということが見えてくる。

薄々感づいている感性の豊かな人も若い人を含め多くはなってきているものの、まだまだ多くの人、特に年配者には政府や新聞等の報道が正しいと考える人は多い。

しかしながら裏事情や公平な報道がどれほどあるかと言えば、恐らく皆無に近い状態だろう。朝日、読売、日経などメジャーな新聞は政府よりの偏った報道に終始し、スポンサーの(大企業メディアを支配する電通など)都合に合わせないと食っていけない事情がある。

NHKにしろ公共とはいうものの政府に財布を握られている訳だから、その筋の意向は考慮せずにいられない。

高校時代の日教組の先生、斉藤先生の言葉「誰が日本を牛耳っているのか?」の脇道に逸れたレクチャーは当時も新鮮だったが私の中では今でもその輝きを失っていない。

ユダヤの教えに次ぎのようなものがある。的の真ん中に当たった矢を見て、ほとんどの人間は「ほー、誰か上手い奴が見事に的を得たな。」と。しかし、大部分のユダヤ人なら「矢を射てから印を書いた」と考えるそうである。
現在進行形の政治、経済、社会事情の変化とその裏を読むことができるようになるためには過去の検証は必要な作業である。

この紺野典子氏の著書「平成経済20年史」はそんな訓練にはもってこいの一冊である。

     紺谷 典子 著   平成経済20年史
    
    

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posted by ラッキー at 11:51| バンコク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | パタヤから発信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

タイ移住を決心していたのは20年以上前だった

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高校2年でアメリカのボッソル高校へ転校し、その後ショーラインCC、そしてウェスタンワシントン大学を卒業するまでワシントン州に滞在した。

卒業する頃には永住が希望だったが学生ビザが切れ、あらゆることをやったがどうしても帰国せざるを得なくなった。友達の中には不法滞在でビザが切れてもそのまま残った者もいた。或いは米国人(日系女性)と結婚して、在米資格を得た者もいる。

帰国した私は当時、「帰国子女」など言葉がまだ無い頃である。日本の大学を出ず、アメリカの高校から大学に進学し卒業していても企業は採用しなかった。

クレジットのジャックスなどは面接担当者が合否を決められず、社長と面談までしたほどである。当時の社長は私に「日本の企業は君には合わない」と体よく断られたほどだった。

そこへ運良く中学時代の女子友人から電話が入り、ユニツアーズでツアコンを募集していると知る。彼女の友達リックがユニツアーズの今で言うコンサルをやっていたのだ。

リックの紹介ということでユニツアーズの専属ツアコンとなった私は主にメインランドチャイナ(中国)を専門に担当した。

しかし、中国だけのツアーでは可哀想にと渡辺社長がアジアツアーも回してくれた。それが、私にとっての訪タイの初めである。

同時にマニラにも行けたのが幸いした。このバンコクとマニラを同時に知ったお陰で今の私がある。

フィリピンとタイを同時に知った時から、実は心の中で将来の棲家としてタイがあったのだ。当時、銀行の預金利息は8%もあって、20年以上も前のタイの物価からすれば利息で楽々暮せるような状況だったのだ。

経済状況の違い、社会変化などいろいろ変わってしまったところはあるが、その時の思いがなければ、こうして今パタヤに暮していることもなかったと思う。

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    20年以上も前のパタヤビーチ

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posted by ラッキー at 12:19| バンコク 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | ツアコン時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

アメリカ大学時代のハロウィーン

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    コスチュームを着て寮を出る学生たち

昨日はハロウィーンだった。昔の写真を見て、懐かしく思った。ウェスタンワシントン大学入学して、学生寮に住んでいた当時、寮の学生たちとハロウィーンに繰り出した。

アメリカでもこういう面白い行事があって、子供ばかりではなく大人も同じように参加するから凄い!

アメリカには「人間が正気でいるためには、時々羽目を外さないといけない」という言い表しがあるくらいである。まあ、日本語に言い換えれば「無礼講」とでもいうのだろうか。

それに加え、大のパーティー好きな国民性である。本当に青年時代に10年近く、アメリカで暮せたことはその後の人生に大きな影響を及ぼした。ある意味、アメリカン・スピリットがあったからこそ、ここまでやって来られたのだと思う。

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posted by ラッキー at 17:44| バンコク | Comment(0) | TrackBack(0) | シアトル時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月31日

ホテル経営時代と平成の歴史

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    元々は機械工場だったホテル建設地

1990年9月28日にバブルの最中にオープンしたホテルを2005年1月25日に新しい買主に引き渡すまでの14年間の会社経営史は平成の日本経済と直結していた。

元々、事の始まりはバブルに機縁する。それまで両親が経営していた割烹料亭を存続するかどうか、戦後から借地で営業していたため、地べた(土地)を売却希望の東京のオーナーと地上権者6軒の交渉が原因であった。

跡取りの長男が店を継ぐべく、料亭に戻ってきていたので、両親は店の存続は長兄に任せていた。ところが、その長兄が跡は継がない、料亭は引き継がないと明言してしまったのだ。

最終的に店は売却して、資金を別な事業に引き継ぐことになったが、肝心の長兄は事業プランも練ることは無かった。いたずらに時間だけが過ぎ、徴税の期間となる一年後には残り時間は残されていなかった。

最終的に長兄は勤めに出ることになり、次男の私が会社事業を引き継ぐことになった。私は親友Nと長兄の親友S先生を頼りにビジネスを起こすことになった。せっかくの売却資産を目減りさせずに利益を生む商売ということでホテル経営に乗り出すことになった。

私は数字には弱かったが親友NとS先生の助けを仰ぐことができれば、マネージメントの方には自信があった。

一口にホテル経営というけれど、小さな会社でそれを行おうとすれば、非常に労力の掛かる仕事であることは明白であった。しかし、時給での採用を基本に人材を上手に活用して何とか営業できるスタイルを確立するまでに一年とは掛からなかった。問題は自由気ままに辞めてしまう従業員と景気だった。

振り返ればバブル経済の破裂と同時にオープンした訳だから、私のホテル経営史はまさに平成史そのものと言っても過言ではなかった。と、同時に政治・経済を見る目を持っていた私には平成における官僚に支配された自民党の政策の出鱈目ぶりは見抜いていた。

その証拠に最後の数年は地獄を見るような経営状態であった。細かいことは後に譲ることにするが、紺野典子さんの「平成経済20年史」を読むと、まさにそのすべてが書いてある。平成の悪政の中、何人もの亡くなった知人、友人がいるが、その多くが平成の経済悪化と無縁では無かったことを記しておきたい。

    紺谷 典子 著   平成経済20年史
    
    

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posted by ラッキー at 15:05| バンコク | Comment(0) | TrackBack(0) | 経営者時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする